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高橋 正治(たかはし しょうじ、1925年9月6日 - 1995年12月26日)は、日本の国文学者。元清泉女子大学文学部教授。元駿台予備学校講師。 *経歴 [#eaf2081a] -1925年(大正14年)9月、神奈川県逗子市生まれ。 -1952年(昭和27年)3月、東京大学文学部国文学科卒業。 -1957年(昭和32年)3月、東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。 -1961年(昭和36年)4月、清泉女子大学講師。 -1964年(昭和39年)、清泉女子大学助教授。 -1969年(昭和44年)、清泉女子大学文学部国文科((現・日本語日本文学科))教授。 -1995年12月26日、清泉女子大学名誉教授((3月29日授与))。 -東京大学文学部教授。&size(12){[要出典]}; -元 山手英学院講師。 -元 駿台予備学校古文科講師(1970 - 1992年度)。 -元 駿台予備学校古文科主任教授(1977 - 1992?年度)。 --桑原岩雄師の後任。 -1995年(平成7年)、心筋梗塞のため逝去。 *授業 [#v07a5294] -非常に古文が出来る人向けの授業であり、苦手な人には厳しい授業。 -内容はアカデミック。 --受験だけでなく、公家が武家をどう容認していったかという精神過程について語ることも。 -古文は文法と活用、単語の学習で終わりという考え。 --「古文は日本語なんだから上からス~っと理解できなきゃだめ」が口癖であった。 --現代語にある言葉はそのままに、ない用法や文法、単語を覚えればそれで良いということ。 *担当授業 [#rf85cb6c] **通期 [#h9b7a7f8] -古文選 --お茶の水校3号館・午前部文1α/午前部理1α -古文I --お茶の水校3号館・東大理系スーパー 1992年度 ---東大文系スーパーは関谷浩師。 ---東大理系スーパーの後任は白鳥永興師。 **講習 [#df50245f] -古文基礎 --師の「古文読解教則本」が指定副読本。 -東大古文対策 --長年、高橋正師が担当していた(1992年度まで)。 後任は関谷浩師(1993年度から)。 当初は、お茶の水校、池袋校以外に横浜校も関谷浩師が担当していた。 **特設単科 [#s171759f] *人物 [#c3b30d4f] &size(24){某剽窃wikiではバカ荒らしにより「たかはし まさはる」と改竄されている。}; -国文学者(中古文学)。 --『大和物語』研究の大家。 -太平洋戦争末期に学徒動員された元海軍特攻兵。 --もう少し終戦が遅れていたら、確実に死ぬ立場に置かれた経験をお持ちだった。 --そのせいか駿台の古文教材は師の死生観を反映していた。 --そうした究極の体験から、戦後復学され、研究の道に入られてから、全く「私心」というものがなく、小さな自己は捨てて、「生き残った自分は何のために生きるのか」「どうするのが、学問の進展のためになるのか」ということを考えて、生涯をお送りになった。(平成30年度 清泉女子大学入学式 学長式辞より)。 -研究面では、資料や作品の内容・表現自体に基づき、奇をてらわず、地道に調査し考察すべきこと。教育面では、「学生の前で分かった振りをしない。しっかりと自分が理解できていることを、教室で誠実に伝えることが大切だ」ということ等を、教わりました。(平成30年度 清泉女子大学入学式 学長式辞より)。 -生き方の面では、立場や年齢に関わらず、人に対して誠実に接することや、物事を大局的な見地から判断すべきことを、身をもって示して下さった。(平成30年度 清泉女子大学入学式 学長式辞より)。 -当時の旧制高等学校の古文指導の批判もしていた。 --「自分が成長すれば、同じものの見え方が変わる。ものの善悪を論じるときは成長が止まっている。いろんな経験を積んで自分を成長させてみよ。」 -大学教授の傍ら、駿台にも山手英学院の同僚だった伊藤和夫師の紹介で出講するようになった。 -1977年に桑原岩雄師から古文科主任教授の職を引き継いだ。 -東大理系コースでは、長らく関谷浩師とコンビを組んでいた。 -東大文系コースでは、それに秋本吉徳師と合わせて最強トリオだった。 --高橋師は訳に、関谷師は文法に、秋本師は解法にこだわりがあった。 -授業は非常に古文ができる人向けであり、苦手な人には厳しかった。 --とも限らなかった。苦手な人(国立理系志望)でも桑原師や関谷師よりもいいという人もいた。 --苦手な人は文法を重視した関谷浩師の授業に潜っていた。 --実際、1992年度の3号館の東大文系スーパー、一橋大セレクトの古文Ⅰは関谷浩師担当で、3号館の東大理系スーパーの古文Ⅰは高橋正治師、古文Ⅱαが関谷浩師担当だったため、関谷浩師の講義に潜る人もいた。 --苦手な人は板書中心で文法を重視した関谷浩師の授業に潜っていた。 ---実際、1992年度の3号館の東大理系スーパーの「古文Ⅰ」は高橋正治師、「古文Ⅱα」が関谷浩師担当、3号館の東大文系スーパー、[[一橋大セレクト>スーパー一橋大]]の「古文Ⅰ」は関谷浩師担当で、関谷浩師の講義に潜る人もいた。 -秋本吉徳師の本学および大学の直系の上司。 --あの秋本師が%%服従%%付き従う数少ない御方だったそう。 --そのこともあってか、師の数少ない薦める参考書の一つが『古文読解教則本』である。 --なんでも和歌が大嫌いであった秋本師が、これまで一切読んでこなかった源氏物語を読むように言われ、それに秋本師が%%驚くことに%%従っていたのだとか。 --その割に当時高橋正治師が作成していた古文Ⅰのテキストを秋本吉徳師が批判していたことがある。 --死去の際はお通夜、御葬儀とお手伝いした。 -元・駿台講師で、現・清泉女子大学学長・佐伯孝弘師の恩師。 --佐伯師が、大学院を修了すると同時に、高橋師が清泉女子大学に専任講師として招聘した。(平成30年度 清泉女子大学入学式 学長式辞より) -池袋の駿友予備学校(のち、駿優予備学校)にも開校当初は出講していた。 -ご自身の研究の集大成に傾注されること、後進に道を譲られることで、1992年度をもって予備校講師を引退した。 --お茶の水校(3号館)の東大理系スーパーの古文Ⅰは1993年度は白鳥永興師師が担当した。 --1993年度の高卒クラスパンフレットには写真が掲載されているが駿台に出講はしていない。 *著作 [#c553a857] **学習参考書 [#e6e18c8a] //-『≪タイトル≫』(≪出版社≫、≪発売日≫) -『駿台予備学校副読本 必修 古文読解教則本(駿台受験叢書)』(駿台文庫、1981年4月) -『古文読解教則本〈改訂版〉(駿台受験叢書)』(駿台文庫、1988年) --『古文読解教則本』(正文社、1963年)の改訂版。 --元々は駿台の校内生用副読本。 --「古文版700選」とも称されていた。 --校内生用副読本を外れた後も、師の夏期講習「古文基礎」の指定副読本だった。 //Amazonの発行年は当てにならないので訂正しました。 -『古典文学読解演習 〜古典とともに思索を〜』(駿台文庫、1983年2月) -『大学受験必修 頻出古文単語200(駿台受験叢書)』(駿台文庫、1989年9月) -『古文読解問題集(駿台受験叢書)』(駿台文庫、1993年12月) -『大学入試 必ずワカる国語の学習法(駿台ブックス)』(藤田修一・高橋正治 共著 駿台文庫、1986年7月) --現代文科主任教授(当時)・藤田修一師との共著。 **一般書 [#k1061834] //-『≪タイトル≫』--(≪出版社≫ ≪発売日≫) -『大和物語』(塙選書;25)(塙書房、1962年10月) -『日本古典文学全書8』「大和物語」(校注・訳)(小学館、1972年) -『大和物語の研究. 系統別本文篇 上・下』(臨川書店、1988年10月) -『大和物語』(新典社校本叢書;2)(新典社、1988年4月) -『大和物語諸本目録』(新典社、1988年10月) -『新編日本古典文学全書12』「大和物語」(校注・訳)(小学館、1994年12月20日)