西岡康夫 の変更点

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西岡 康夫(にしおか やすお)は、元駿台予備学校数学科講師。元代々木ゼミナール数学科講師。現代々木ゼミナール教育総合研究所主幹研究員。

*経歴 [#s51f00a0]
-1957年生まれ。
-1979年、東京大学工学部建築学科卒業。
-国家公務員試験合格も某省庁の内定を辞退(本人談)。
--入省説もあり。
-元 市進予備校講師。
-元 研数学館講師。
-元 駿台予備学校講師(1986 - 1999年度)。
-1995年、日本教育フォーラム理事(CIO)。

-元 日本教育フォーラム・プレカレッジコース代表講師(1999 - 2006年度)。

-元 代々木ゼミナール講師(1999 - 2014年度)

-元 LEC大学講師。

-元 LEC専任講師。
--法科大学院入試対策講座 適性試験対策編

-京都市立堀川高等学校学術顧問。

-代々木ゼミナール教育総合研究所主幹研究員。
//--http://www.yozemi-eri.com/career/event/data_science.php

-オレンジ進学サポート講師。
*授業 [#q383e4d4]
-駿台出講初期は[[根岸世雄]]師のような正統派スタイルだったが、徐々に秋山仁師スタイルにチェンジしていった。
--元現代文講師の吉成学師によると西岡師は秋山仁師と根岸師のいいところを取って授業をしていたらしい。

-「1つの問題を解くための10の方法でなく10の問題を解く1つの方法を教えたい」といい、入試問題を解くための「(論理階層をもつ)判断枠組」を用いた授業を展開していた。
--「判断枠組」とは、具体的には3つの戦略、認識的アプローチ(定性と定量)、解析的アプローチ(分析と総合)、還元的アプローチ(帰納と演繹)からなる(現在は、認識的アプローチ(定性と定量)、還元的アプローチ(分析と総合)、推論的アプローチ(帰納と演繹)としている)。
--数学は3つの戦略で全て解けるとし、論理的な数学の本質をつく授業に定評があった。
--判断枠組は戦略・作戦(作戦行動)・戦術の三つの論理階層から成り、その三つを駆使して問題を解く、ともいっていた。
//--戦略とは上記の判断枠組みのこと、作戦とは単元別の典型的な解き方のこと、戦術とはうまく解けるちょっとした裏技のことを指す。
//上記の説明は明らかな間違い。

-講義において、師は3つの言葉で何を言い表したいかをはっきりとは言及しないので、最後まで3つの違いがわからなかった、ということを言う学生さえいた。

-西岡師の真骨頂は、典型的な問題は解ける学生に、「キミたちすぐ暗記に走るけど、暗記しても同じ問題は出ないよな」といって、判断枠組の大切さを説き、実際にそれを使ってあまり見たことがないような解法で巧く解いて見せる(魅せる?)点にあった。
--ただ、解法パターンの暗記には否定的だったものの、典型的問題をシラミつぶしに(網羅的に)演習する必要性は認めていた。

-小林隆章師のような見る者を圧倒するような板書ではないが、古文科の関谷浩師の板書を横書きにしたような感じのとてもきれいな板書だった。

-「・・・だよな。だな。だろ」といったような口調で授業していた。
--映像授業や校外生向け授業ではですます口調にしていることもあった。不遜な態度の授業、といわれたことも。
--解説し終わると「はい、終わり」「終わりだよ」とぶっきらぼうにいうことがあった。
*担当授業 [#q8f9530b]

**通期 [#p2472d78]

-数学X#
-数学X 市谷校舎 午前部理3β
-数学B#§2 市谷校舎 午前部理3α 1988年度
--§1は秋山仁師。

-数学XT§4 お茶の水3号館 東大理系スーパー 1992年度、1993年度
-数学XT お茶の水3号館 東大理系スーパー 1998年度
-数学BTⅡ 市谷校舎 医系スーパー 1992年度(1993年度は市谷校舎には出講していない)
**講習 [#r74321f5]
-高2東大数学 横浜校 1991年度

-数学標準 お茶の水校

-入試数学のOJT お茶の水校、仙台特別会場

-東大理系数学
--根岸世雄師の後任(西岡師の後任は小林隆章師)。

-微分積分のロジスティックス(駿台サテネット21)<夏期講習> 1995年度

-数III/Cのロジスティックス(駿台サテネット21)<夏期講習> 1996 - 年度 1998年度
**特設単科講座 [#v61c5211]
-数学I基礎? 池袋校

-入試数学のロジスティックス 大宮校

-入試数学に於ける『論理階層』(H.o.L) 1994年度

-入試数学のOJT お茶の水校
--テストゼミ
**駿台サテネット21 [#d3d50fc0]
-入試数学のロジスティックス(サテネット21) 1995年度前期
-入試数学の「判断枠組」―「解」の論理・「解」く技巧―(サテネット21) 1996年度
-入試数学の判断枠組―偶然に頼らない「解法」の獲得―(サテネット21) 1998年度
**高校生クラス [#m4a57aa9]

-高3東大数学 3号館

*人物 [#lcc51398]
-往年の駿台数学科を支えた人気講師。

//--上位層に信者が多くいた一方、数学が苦手な人からは評判はいまいちだったようだ。?←憶測で嘘を書くな
-%%%上位コース向けだったというガセネタ%%%があるが、市谷校舎の下位コースの午前部理3βでも人気があった。

-東大生のアンケートで、予備校の数学講師の評判で1位になったことがある。

-根本的なところから大学教養レヴェルまで丁寧に説明するため絶大な評価を浴びているが、授業内容については賛否両論がある。

-秋山仁師の弟子的存在だった。

-「(論理階層をもつ)判断枠組」という考え方を提唱している。
--判断枠組は戦略(ストラテジー)・作戦(作戦行動)(ロジスティックス)・戦術(タクティクス)の三つの論理階層から成り、その三つを駆使して問題を解く、ともいっていた。
--「判断枠組」とは、具体的には3つの戦略、認識的アプローチ(定性と定量)、解析的アプローチ(分析と総合)、還元的アプローチ(帰納と演繹)からなる(現在は、認識的アプローチ(定性と定量)、還元的アプローチ(分析と総合)、推論的アプローチ(帰納と演繹)としている)。
--数学は3つの戦略で全て解けるとし、論理的な数学の本質をつく授業に定評があった。
--西岡師の説く3つの戦略―認識的アプローチ(定性と定量)、解析的(還元的)アプローチ(分析と総合)、還元的(推論的)アプローチ(帰納と演繹)は、秋山仁師の発見的教授法(ヨコ割り発想の考え方=戦略)を西岡師なりに進化させ、言い換えたものである。

-言葉遣いが大仰である場面がままみられた。
--肯定的に見れば、そこが魅了の一つである。
--否定的に見れば、他の人とやってることは同じなのに大仰な名前をつけて何かすごいことをやってるように見せてるだけだ、という見方にもなり、しばしば論争になっていた。

-師のことを話すと大抵は、数学は暗記か思考力かという不毛な論争になり、2chなどでは延々とこの論争が続いていた。

-解法暗記を小ばかにした態度に、いろんな講師から顰蹙を買っていた。
--しかし、典型的な問題をしらみ潰しに解くことは勧めていた。

-一般的なタイプの数学の参考書・問題集などのことを、軽い侮蔑の意味を込めて「チマターズ」と呼ぶ。

-「試験会場であてにならない3つのもの」は「行間」「過去の記憶」「隣の奴の答案」であると言っている。

-一見怖そうに見えるが、実際はバラエティ番組が大好きという一面もある。
--授業のレベルも高めで、大げさな哲学的表現を好んで使ったりもするので、あまりくだけた雰囲気の人ではなかったのだが、時にコナンなどのアニメや歌謡曲などのサブカル的な話題に触れたり、さりげなく冗談もいったりして、意外な側面をみせていた。

-自分の講座の宣伝はあまりしない(本人曰く『恥ずかしいから』)が、著書の宣伝をしばしばする。
--西岡氏に否定的な人からはよく商魂たくましいと悪く言われていた。

-生徒の参加態度については甘めなのか少々悪くても怒ることはない。
--授業態度の悪い生徒に寛容であった。
--寛容というより、いちいち怒るのもカッコ悪いのでほっておいた、といったほうが正確かもしれない。

-%%駿台時代は人気が出るにつれて、学生に対してもだんだん不遜な態度になっていった。%%

-少数の講師と派閥をつくって行動するタイプらしく、派閥(手下とさえいう人もいた)以外の講師とはかなり距離をおいて接していた。

-代々木ゼミナール講師時代に、『東大理系予想問題演習』で、「円周率が 3.05より大きいことを証明せよ」という今では有名になっている問題を的中させたことがある。

-漫画『ドラゴン桜』の関係者から取材を受けたが、師はドラゴン桜の勉強法を真っ向から否定しており、それゆえ記事としては採用されなかった。

-代ゼミでは、法学は理論の筋道が数学と同じことからか、法科大学院適性試験対策講座も持っている。

-『名探偵コナン』を愛読している。
**予備校遍歴 [#r896fc75]
-''市進予備校''時代は、津田沼で個人塾を開いていて、県立千葉、県立船橋、市川、和洋国府台女子などの生徒を教えていた。

-''研数学館時代の情報募集中''

-駿台出講初期は、''研数学館''と掛け持ちだった。

-''駿台予備学校''時代は、主にお茶の水3号館の東大理系スーパー、高3東大数学、市谷校舎の午前部理3α〜医系スーパー、および、大宮校、千葉校に出講していた。
--講習会のみ開かれていた時代の仙台にも出講し、師のオリジナル講座「入試数学のOJT」を担当していた。

-駿台の若手時代は、長岡恭史師、西山清二師、小林隆章師と並んで若手のホープだった(''新進3N+K'')。

-駿台の若手時代は、人気講師にも関わらず、当時の長老講師達になかなかオリジナル講座を持たせてもらえなかった。
--「おじいちゃん達が持たせてくれないんだよね〜」と嘆いていた。
--1992年度の冬期講習から、ようやくオリジナル講座を持つことができた。 

-特設単科講座は、池袋校の基礎講座のみの担当であったが、ようやく大宮校でオリジナル講座を開講し、後にお茶の水校でも(やっと)開講した。

-駿台時代晩年には、根岸世雄師の後任として「東大理系数学」を担当していた。
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-1999年度に、薬袋善郎師、今野和浩師、真下雅浩師を引き連れ、鳴り物入りで''代々木ゼミナール''に移籍した(同時期に仲本浩喜師も移籍)。
--1999年度は完全移籍ではなく代ゼミと駿台を兼任していた。

//--代ゼミ移籍後はあまり人気ではなかった様子。代ゼミでなく上位校受験に強い駿台でこそ師は輝けたのかもしれない。??要出典デタラメを書くな

-代ゼミでも、本科(大学受験科)の東大コースや医系上位コースを担当し、オリジナル単科講座も締め切りが出るなど、まずまずの人気があった。
--当時のBIG3岡本寛先生、荻野暢也先生、山本俊郎先生に次ぐ人気があった。
--東大文系クラスの数学はこの4人が担当の年もあった。
-代ゼミでも信者が存在し、マニアックな人気があり、師が例年、出講していた津田沼校まで追っかけする学生もいた。
-代ゼミ本科(大学受験科)では、「東大理系数学」(単科も同一授業)を担当する他、「セレクト理系数学」「数学Ⅰ・A・Ⅱ・B〈A〉」(東大文系クラス)などのサテライン講座も担当。
-代ゼミ時代は、「東大理系数学」(花村秀先生の後任)や東大模試の出題(米谷達也先生の後任)を担当していた。
--逆に、駿台ではかつて代ゼミで「東大理系数学」を担当していた森茂樹師が「東大理系数学」を担当し、結果的に駿台と代ゼミで「東大理系数学」担当者が入れ替わる珍現象となった。
--代ゼミ晩年は、「東大理科数学」は箕輪浩嗣師に譲り、「東大理科数学特講」という別講座を担当していた。

-単科ゼミでは、オリジナル講座「解の戦略」を担当。
-単科ゼミでは、オリジナル講座「解の戦略」を開講。

-単科ゼミでは、「国公立医学部数学特講」という、大学教養レヴェルの極めて難しい講座も担当。
--代ゼミでは「国公立大医系数学」は、例年、藤田健司先生が担当していたが、%%対抗して%%西岡師は「国公立医学部数学特講」という実質、オリジナル講座を新設した。
--後に、「国公立医学部特講」は理科も新設され、本科のオプション講座となり、それに伴い医系のオプションコース(MG)までも新設された。
--ちなみに、物理は中川雅夫先生、化学は岡島光洋先生、生物は大町尚史先生が担当していた。
--後に、「国公立医学部特講」は理科も新設され、本科のオプション講座となり、それに伴い医系のオプションコース(スーパーレベル国公立医学部コース(特講プラス)-MGコース)までも新設された(2007~2009年度)。
--ちなみに、化学は岡島光洋先生、生物は大町尚史先生、物理は中川雅夫先生(2007~2010年度)が担当していた。
--しかし、何があったのかわからないが、2011年度より西岡先生の「国公立医学部特講」はすべて廃止され、医系数学講座は藤田健司先生のみとなり現在まで続いている。
--季節講習は「医系数学の秘伝「ヒポクラテス」」などの講座名だった。

-ブロードバンド代ゼミTV-NETにも出演していた。
--残念ながら、なぜかオリジナルテキストではなかった。

-法学は理論の筋道が数学と同じことからか、法科大学院適性試験対策講座も持っていた。


*著作 [#d0a91915]

**学習参考書 [#tbfdbf99]
//-『≪タイトル≫』--(≪出版社≫ ≪発売日≫)

-(研数書院)

-『大学受験 進研ベストセレクション 数学III(進研BOOKS)』(ベネッセ、1996?年)
--「数学I」は今野和浩師、「数学II」は小番潤師、「数学C」は真下雅浩師が書いている。
--現在、今野師の「数学I」、真下師の「数学C」とともにプレミアムが付いている。
-『大学受験 進研ベストセレクション 数学III 標準問題集(進研BOOKS)』(共著。ベネッセ、1997年)今野和浩師との共著。