藤田宏 の変更点

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藤田宏(ふじた ひろし、1928年12月7日 - )は、数学者。東京大学名誉教授。元駿台高等予備校数学科講師。

*経歴 [#u68090f6]
-大阪市出身。
-愛媛県新居浜市久保田町育ち。

-旧制浪速高等学校尋常科卒業。
-旧制浪速高等学校高等科((現・大阪大学))卒業。
-1948年、旧制東京大学理学部物理学科入学。
-1952年、東京大学理学部物理学科卒業。
-東京大学大学院入学。
--物理学教室(加藤敏夫)に所属。

-1956年、東京大学助手。
-1960年、東京大学工学部応用物理学科講師。
--応用物理学科時代前半にスタンフォード大学へ留学。
--1964年に帰国してからまもなく併任助教授として東京大学理学部数学科でも教鞭をとる。
-1966年、東京大学理学部数学科教授。
-1967〜1968年、ニューヨーク大学クーラント数理科学研究所。
-1971〜1988年、京都大学数理解析研究所併任教授。
-1988年、東京大学理学部長。
-1989年、東京大学理学部名誉教授。
-1989年、明治大学理工学部数学科教授。
-1999年、東海大学教授。

-元 東京大学学生文化指導会サンデースクール講師。
-元 駿台高等予備校講師。
-元 数学オリンピック財団理事長。
-1964年、藤原賞受賞。
-1990年、紫綬褒章受章。
-2000年、勲二等瑞宝章受章。
*人物 [#g764a363]
-数学者。
--専門は関数解析学、偏微分方程式。
-元々は物理学者である(経歴参照)。
-日本数学会会長、日本応用数理学会会長などを務める。
--元々は物理学者である(経歴参照)。
--日本数学会会長、日本応用数理学会会長などを務める。

-大阪市出身。
--幼少期から中学校まで愛媛県新居浜市久保田町に在住。

-研文書院の『大学への数学』シリーズ(黒大数)の執筆者としても知られる。
--[[中田義元]]師とともに原著者の一人。
--後に、長岡亮介師を執筆に誘った。
-また、創成期の東京出版の月刊誌『大学への数学』の執筆をしていたこともある。
-『シグマベスト 理解しやすい数学シリーズ』(文英堂)の編者である。
--なお、「大学への数学 (研文書院)」のWikiprediaでは、「黒大数の絶版後に文英堂シグマベスト理解しやすい数学シリーズを上梓した」かのように書かれているが、本シリーズは黒大数の絶版前から出版されており不適切である。
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-旧制浪速高等学校(現・大阪大学)出身。
--7年制の旧制浪速高等学校は,旧制中学にあたる尋常科と旧制高等学校にあたる高等科を合わせた学校であるため,尋常科(学年定員 80名)への入学試験に合格し4年の課程を修了すれば,激烈な高校入試を免除されて高等科に進むことができた。つまり受験勉強をしなくてもよかったのであるが,受験勉強の必要性がないにも関わらず,尋常科の数学教授は,有志の尋常科生徒に対して,数学の実力をつけるという観点から岩切晴二の参考書『学習受験最新代数学精義上・下巻』(培風館)を使って勉強することを学生たちに薦めていたという。
--戦時中は、旧制浪速高等学校在籍中で、戦争に行ったことはない。

-1950年代は奥井潔師らとともに東京大学学生文化指導会で教えていた。
--サンデースクール講師。
--その縁もあり、その後、駿台でも数年間、数学を教える。

//千代田予備校は?
-根岸世雄師は、物理学科および指導会の後輩に当たり、藤田師は根岸師の師匠的存在であったと言われている。
-長岡亮介師に駿台での予備校講師の職を斡旋した人物とも言われる。