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細川豊(ほそかわ ゆたか)は、元駿台予備学校化学科講師。 *経歴 [#m854cfb5] -東京理科大学卒業。 -大阪大学大学院理学研究科博士課程(無機及び物理化学専攻)修了。 --理学博士。 --博士論文『テルル酸イオンとコバルト(III)ジアミン錯体の多核縮合体の合成と円偏光二色性』 *授業 &Edit; [#s85b1ccf] -最上位の受験生を意識した授業水準。入試における「必須知識」部分はまず覚えることを求めた上で、汎用性の高い「攻め方」に力点を置いて説明する。 *授業 [#s85b1ccf] -最上位の受験生を意識した授業水準。 --入試における「必須知識」部分はまず覚えることを求めた上で、汎用性の高い「攻め方」に力点を置いて説明する。 --時には高校範囲を越えた、さらには師曰く「大学でも教えない」ことを用いて事項の理由を深いところまで追究する。実際、専門書などからの引用もかなりある。 --駿台らしいアカデミックな授業でありながら、師の個性が色濃く現れた授業である。 --上位クラスの一部には師の個性ある授業に惹かれた信者がいる一方で、授業内容のレベルの高さもあり、クラスによっては出席率が低い。学生の好き嫌いが顕著である。 -他人が作ったテキストの場合には,自作のプリントで授業をする。 --プリントの(参考)の欄には、[[化学>https://web.archive.org/web/20201212173025/https://pchira.wicurio.com/index.php?cmd=ambiguous_link&page=%E5%8C%96%E5%AD%A6]]が好きな人や「なぜ?」が気になる人のための,踏み込んだ部分の説明が書かれていることが多い。 --「攻め方」や深くまで突っ込んだ豊富な補足事項、更には実戦模試・難関大学の過去問やオリジナル問題を出典とした補充問題などかなり充実している。 --プリントはほぼ全て手書きであり、守りたくなるような老人っぷりという憎めないキャラである。 -専門用語を説明を省いて連発する事が多く、基本事項を解説する授業なのに予め基礎知識が充実してないと付いていけないこともある。しっかりと予習していくのが良いだろう。 -滑舌が悪く、後ろの方の席だと聞き取れないこともある。 --基本的にはラ行が言えていない。有機[[化学>https://web.archive.org/web/20201212173025/https://pchira.wicurio.com/index.php?cmd=ambiguous_link&page=%E5%8C%96%E5%AD%A6]]の夏期講習などでは、ラ行のオンパレードなので、逆に面白くなってしまう。 -授業における師の真価は有機[[化学>https://web.archive.org/web/20201212173025/https://pchira.wicurio.com/index.php?cmd=ambiguous_link&page=%E5%8C%96%E5%AD%A6]]の授業で発揮される。 --有機[[化学>https://web.archive.org/web/20201212173025/https://pchira.wicurio.com/index.php?cmd=ambiguous_link&page=%E5%8C%96%E5%AD%A6]]の授業では有機電子論を用いて説明する。通常授業では自作のプリントを配布し、「必須知識」を隅々まで解説する。師が東北大学の青本を担当していたこともあり、難しいと定評のある東北大の有機の問題演習プリントが配布される。 *担当授業 [#a6a5231a] &aname(plugin_fold_anchor1); お茶の水校([[2号館]]),[[あざみ野校]]に出講。 &br;通期 &aname(plugin_fold_anchor2); 春期講習 &aname(plugin_fold_anchor3); 夏期講習 &aname(plugin_fold_anchor4); 冬期講習 &aname(plugin_fold_anchor5); 直前講習 *人物 [#v63db97a] -一昔前まで関東化学科の中心であり、最上位層の授業を受け持っていた。現在は第一線を退いている。 --元々は、関西地区で石川正明・北山一両巨頭に次ぐNo.3的立場の講師であったが、気がついたら出張先であったはずの東日本がメインになっていたらしい。1996年に本格的に移籍。 ---その一方で、上記の関西化学科の重鎮と仲が悪くなり関西で教えなくなったという話もある。石川師作成のテキストで授業をする際にはテキストに批判的になるのはそうした背景によるのか。 --かつては演習コースにも出講。2016年度のSA・SBクラスを最後に[[3号館>https://web.archive.org/web/20201212173025/https://pchira.wicurio.com/index.php?cmd=ambiguous_link&page=3%E5%8F%B7%E9%A4%A8]]への出講はなくなった。[[市谷校舎>https://web.archive.org/web/20201212173025/https://pchira.wicurio.com/index.php?cmd=ambiguous_link&page=%E5%B8%82%E8%B0%B7%E6%A0%A1%E8%88%8E]]においても2016年度より担当クラスがそれまでのSA・SBからSD・SEに変更、そして[[2018年度>https://web.archive.org/web/20201212173025/https://pchira.wicurio.com/index.php?cmd=ambiguous_link&page=2018%E5%B9%B4%E5%BA%A6]]より出講自体がなくなった。 -テキストも多く作成していた。 -学生からの人気に比して、作問能力やテキストの編集能力は高かったらしい。 --青本の執筆や実戦模試の編集など東大対策などを主導していた。 --鎌田真彰師の跡を引き継ぎ「東大化学」のテキストの監修も担当していた。後任は中村雅彦師。 ---中村師は師が作題・編集責任に携わっていた頃の東大実戦の問題を「良問」として『東大化学テスト演習』に入れていたりする。 --2015年度まで、夏期講習「化学特講Ⅱ(無機化学)」、冬期講習「化学特講Ⅰ(総合実力完成)」のテキストを編集。 ---このテキストは全問題新作でありながら他講師からも質の高いテキストと評されていたとも言われている。 --現在でも、関西に設置されている冬期講座「無機・有機化学の総整理&;」のテキストを作成している。 -阪大大学院時代は、錯体[[化学>https://web.archive.org/web/20201212173025/https://pchira.wicurio.com/index.php?cmd=ambiguous_link&page=%E5%8C%96%E5%AD%A6]]を専攻し、ひたすら錯イオンを作っていたらしい。その後、オーバードクターとなり大学で働きながらノーベル賞を夢見て研究室で研究を続けるも、駿台[[化学>https://web.archive.org/web/20201212173025/https://pchira.wicurio.com/index.php?cmd=ambiguous_link&page=%E5%8C%96%E5%AD%A6]]のアカデミックな授業に心揺り動かされ関西化学科の講師となる。 --旧化学特講Ⅱの巻末にその名残があった。 --師が関西にいた頃に執筆した夏期講習「化学特講Ⅱ」は2015年度をもって全面改訂となった。 -ボソボソとした話し方と「〜ネッ!」という語尾から授業は眠くなってしまうが、師の[[化学>https://web.archive.org/web/20201212173025/https://pchira.wicurio.com/index.php?cmd=ambiguous_link&page=%E5%8C%96%E5%AD%A6]]への熱意は本物である。 -口癖は「〜NE☆!」「ドギツクチェック!」「問題を味わう」「なあなあ」「アルカリ金ちゃん、土金ちゃん」 --事あるごとに「NE☆!」を連発する。一つの授業で50回近くは言っているが、清宮義幸師ほどではない。このことに関して、森下寛之師がネタにしていた。 --無機分野では理論分野の時に比べてネはあまり目立たなくなる。 -言い間違いや書き間違いをしたりすると自分の顔や頭を軽く叩きながら謝る。 -横浜ベイスターズのファンとのこと。 -ある授業で勢いのあまりチョークが根元から良い音を立てて折れ、教卓まで飛び、眠そうにしてた生徒の目を覚ましたことがある。 -質問対応は良い。 --とは言いつつもあまりに初歩的な質問をすると雑にあしらわれる。