秋山仁 の変更点

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秋山仁(あきやま じん)は東京理科大学特任副学長・栄誉教授。数学者/理学博士。駿台予備学校教育顧問。元駿台予備学校札幌校校長、元駿台予備学校数学科講師。

*経歴 [#aae258e3]
-1946年10月12日、東京都武蔵野市生まれ。
-駒場東邦高等学校卒業。
-東京理科大学理学部第二部応用数学科入学。
-東京理科大学理学部第一部応用数学科卒業。
-上智大学大学院理工学数学科修士課程(数学専攻)修了。
--偏微分方程式論の南雲道夫から薫陶を受ける。
-ミシガン大学でフランク・ハラリー教授に師事(専攻はグラフ理論)。
-東京理科大学にて理学博士の学位を取得。
--博士論文のタイトルは"Factorization and linear arboricity of graphs"。
-元 日本医科大学助教授。
-元 東海大学理学部数学科教授。
-元 東京理科大学理学部第二部数学科教授。

-元 駿台予備学校数学科講師。
-元 駿台予備学校札幌校校長。
-元 小野池学院講師。

-東京理科大学特任副学長・栄誉教授。
-東京理科大学数学体験館館長。
-駿台予備学校顧問。

*授業 [#l9748bbd]
-当時としては珍しいプリント授業だった。
--講義自体はプリントを読み上げてるだけという批判もあった。

-簡潔ではあったが、ポイントは抑えており、示される解答は非常に綺麗だった。

-雑談の合間に授業をしていた。
--時として50分中45分が自分の体験談時と生徒への罵声となった。
--生真面目な学生は授業をカットしてプリントだけ貰っていた。

-朝に弱く、1時間目の授業は覇気がなかった。

-無鉄砲・行き当たりばったりな授業だったこともあるらしい。
--1〜200の整数を範囲とした問題。授業終了間近ながら上手く解けなかった師は突然全ての数字を黒板に書き殴り、答えとなる数字に丸をつけて帰って行ったそう。(齋藤寛靖師談)
*担当授業 [#x984a1f0]

**通期 [#x7f19b31]
-教材不明 市谷校舎 1981年度

-[[数学X#>数学XS]]§4
--お茶の水3号館・午前部理1α 1989年度
-教材不明 市谷校舎・午前部理3 1981年度

-[[数学X#>数学XS]] §4
--お茶の水3号館・午前部理1α 1989年度
--市谷校舎・午前部理3α 1989年度

-[[数学B#>数学ZS]]§1
--お茶の水3号館・午前部理1α 1988年度
-[[数学B#>数学ZS]] §1
--お茶の水3号館・午前部理1α 1988年度
---§2は中田義元師。
--市谷校舎・午前部理3α 1988年度
---§2は西岡康夫師。

-医系数学
--市谷校舎・医系スーパー 
**講習 [#q64c458f]

 1990年度の夏期講習は4講座担当。
-数学発想法≪夏期講習≫ 1986年度
-入試数学の背景≪夏期講習≫

-ジャンル別解法の総整理≪冬期講習≫

**特設単科講座 [#v821cd79]
-数学講義の決定版(1988年度後期のみ?) お茶の水校
-解法のプロセス(2クラス) お茶の水校

**駿台サテネット21 [#lee09510]
-入試数学20の戦略
--後に、駿台予備学校通信教育部から「駿台ビデオ講座」として発行された。
-計算回避の技法40手 秋山仁 1995年度後期
*人物 [#z34cf753]
-%%レゲエ%%数学者(グラフ理論、離散幾何学)。


-ミシガン大学数学客員研究員、米国AT&Tベル研究所コンサルタント(非常勤)、日本医大助教授、東海大学開発研究所所長、科学技術庁参与、文部省教育課程審議会委員、NHKラジオ・テレビ講座講師、中国南開大学客座教授、駿台予備学校講師などを務めた。
-2004年から、ユネスコ数学巡回展『数学は生きている』で、世界70都市で150万人を動員。
--また、世界数十カ国での数学啓発活動に従事。
-数学体験館をサント・ドミンゴに建設(2021年)。
-数学専門誌「Graphs and Combinatorics, Springer(1987年)」を創刊。
-1997年から現在に至るまで、「離散計算幾何学日本国際会議(JCDCG)」を毎年主催、学術論文百数十編を専門誌に発表。
-ヨーロッパ科学アカデミー会員(2007年)、日本数学会出版賞受賞(2016年)、サント・ドミンゴ自治大学名誉博士(2017年)、コロンブス騎士勲章受章(2021年)。

-算数や数学をやっている人であれば師の名を聞いたことのない人はほぼいない(と思われる)。
-ピーターフランクル氏とも交友が深く、共著で国際数学オリンピック関連の著書がある。

-長髪に髭、バンダナという%%小汚い%%極めて独特な風貌をしている。
--名前は知らなくても顔は知っている人も多い(のではないだろうか)。
--一時は、メディアにもよく露出し、「''レゲエ数学者''」と称されていた。
--最近は、髪はだいぶ短くなってきている。

-予備校講師としては、''大学受験数学に「発想法」を取り入れた第一人者''である。
-テーマ別のタテ割りではなく、「''ヨコ割り発想の考え方''=戦略」を提示していた。
--師の「発想法」はオリジナルではなく、師が翻訳を担当したL.C.ラーソン著『''数学発想ゼミナール''』(シュプリンガー・ジャパン→丸善出版)%%の丸パクリ%%がタネ本である。
--なお、「発想法」を扱った参考書としては、桐村信雄・小林隆一共著『高校数学の技法』(培風館、1957年、1965年)、浅野英夫・山中巌共著『河合塾 秘伝のオープン 数学I/IIB』(進学研究社((現・河合出版))、1976年)、小島敏久著『解法の発見 代数・幾何』(学習研究社、1986年11月)が、師の『数学講義の実況中継』(語学春秋社、1986年)より早く出版されている。
--弟子的存在の西岡康夫師は秋山師の「戦略」を進化・発展させた「''判断枠組''」(戦略-行動-戦術)という考え方を提唱していた。

-駿台時代は、例年、お茶の水3号館と市谷校舎に出講していた。
--3号館午前部理1α~東大理系スーパー・A組、市谷校舎午前部理3α~医系スーパー・A組の年度初講回は、毎年恒例の「''秋山の説教''」の時間だった。
---超満員でもぐりの立ち見客で溢れていた。

-アカデミックな当時の駿台にあって、独特のアウトサイダー的な雰囲気(あくまで雰囲気である)を漂わせ、特に市谷校舎で圧倒的なカリスマ的な人気を誇っていた。
--駿台時代、その%%小汚い%%風貌と講義中の過激な説教からアウトサイダー的な存在とされていたが、実際は真っ当な数学者で思いっきりインサイダーである。

-講習会においては「数学発想法」という人気講座を開講していた。
--秋山師とともにこの講座を担当していたのが、師の弟子的存在の西岡康夫師であった。
--講習は3限が基本だったが秋山師のは4限になっていた。雑談や激励のためである。
--午前9時20分からの講習が8時20分開始になっていた。
それでも締切になっていた。
--内容は、森共出版から復刊した「発見的教授法による数学シリーズ」(駿台レクチャー叢書、駿台文庫)と同内容であった。
---というより師の講義内容を書籍化したものが同シリーズである。

-例年、駿台箱根セミナーにも出講していた。

-駿台出講時代の晩年は、非常に多忙であったため、レギュラーでは市谷校舎の医系スーパーでの「医系数学」くらいであった。
--お茶の水校では、特設単科講座「解法のプロセス」を2クラス担当していた。
-師のサテネット講座やNHK講座をビデオ化した教材が、駿台予備学校通信教育部から発売されていた。
--当時のVHSをDVDに落とした同教材が、師のウェブサイトMathLab Japanで今でも購入可能である
%%ので、転売ヤーにプレミアム価格で掴まされないように%%。
--http://www.mathlab-jp.com/index.php?main_page=index&cPath=104


-駿台では、同年代の長岡亮介師とともにカリスマ的人気を誇った。
--%%ことあるごとにお互いを貶し合う%%駿台でのライバルであった。
--「悲しい時は俺のところに来い、うれしい時は長岡のところに逝け。」
--「東大は教室によっては傾斜があってカンニングできる。だから、長岡は受かったんだね。」
--「(講義で長岡師を度々、ネタにしていたら)この前、本気で抗議の電話してきて、嫌んなっちゃう。」
--駿台生にも秋山派と長岡派がいて、「発見的教授法による数学シリーズ」のユーザーと「大学への数学シリーズ」(黒大数)ユーザーとに別れていた。
--しかし、駿台生の学力が下がっていることについては両師とも意見が一致していた。
-師の弟子的存在に西岡康夫師、今野和浩師、西山清二師、代々木ゼミナールの荻野暢也氏がいる。
--師との関係性は不明だが、理科大の後輩の佐々木隆宏師も師から%%パクッた%%インスパイアされた発想法の参考書(いわゆる「発想本」)を出している。
---%%パクリ本とはいえ、%%本家よりもむしろ洗練されているので、師の『秋山数学講義の実況中継』(語学春秋社)をプレミアム価格で買わなくても、佐々木師の参考書で代用できる。
#br
-高校受験時、師が恋していた女子生徒の後を付いていくために都立西高を目指していたらしいが残念ながら落ちてしまった。
--当時、駒東は都立高の滑り止めであった。
-師自身受験には尽く失敗した経験があり、それでも今の活躍ぶりを見るとある意味受験生に勇気を与えてくれる存在である。
--師の高校時代の落ちこぼれエピソードの一つに、「高校時代、黒板に書かれたlogを10gと勘違いした。」がある
%%が、師の鉄板の持ちネタと思われる%%。

-タクシーの運ちゃんをやっていた、キックボクサーだったなど、様々な職を転々としていたかのように言われることもあるが、実際は学生時代にアルバイトをしていただけである。

-渡米時代に数学者のピーター・フランクル氏と友好を温める(師の著書の推薦文も書いていた)。
--今は忙しくて会う機会がないいらしい。

-女優の由美かおるさんとの事実婚が報じられていた。
--が、%%案の定%%2017年5月に破局が報じられた。
-母校の理科大ではレジェンドとして扱われているが、神楽坂キャンパス内を普通に歩いているシーンを生徒は何度も見ることになるので、段々その感覚も薄れてくる。 


-選挙時期になると出口調査に関して良く言われる「味噌汁」の比喩は師が言い出したものらしい。[要出典]
--というのも何故か師と親交のある落語家立川志の輔が出口調査のカラクリにどうも納得出来ず、酒の席で師に問うたところ「少ないサンプルで全体を見る、これが統計学」「だからって5%ってのは」「しつこいなぁ志の輔さん。じゃああんたレベルでもわかるように説明しましょう。あんたねぇ、大きな鍋いっぱいに味噌汁作って味見する時にねぇ、どんぶり鉢でずずぅーっと全部飲む?」「小皿ですよね」「それが5%よ」と言い包められたのに感心し、以降落語のマクラに使ったことで広まったようだ。
*発言録 [#je4e2f0b]
-「オマエらは馬鹿だ。日本一の大馬鹿モンだ。オマエらがこんな所でもう一回高校の勉強をする間にオマエらよかデキなかった連中がオマエらよか高度な数学を教わるんだ!この馬鹿!!」([[午前部理1α>スーパー東大理系]]・A組初講)

-「鹿児島(大学)へ行け!」(1988年末お茶の水3号館[[午前部理1α>スーパー東大理系]]D組にて)
--鹿児島大学をバカにしているわけではなく、大学名にこだわらず、さっさと大学へ入れという意味。

-「お前らはこんなとこで変にランク上位の大学狙って浪人とかしてないでとっとと入れる医学部入って早く医者になって病人を治せ!」(市谷校舎[[午前部理3α>スーパー国公立大医系α]]D組にて)

-「こんなもの(駿台のテキスト)、中田や根岸にやっちまえよ!!(テキストを床に叩きつける)」

-「この問題が解けなかったら自分は死ぬと思え」
-「この問題はつまらないので、答えだけ書く。」
-「この問題は特別にもうひとつの答えを教える。」

-「(易しめの問題を)こんな問題は野澤(主任の野澤悍師)のとっつあんでも解ける。」

-「悲しい時は俺のところに来い、うれしい時は長岡(亮介師)のところに逝け。」
-「東大は教室によっては傾斜があってカンニングできる。だから、長岡は受かったんだね。」
-「(講義で長岡師を度々、ネタにしていたら)この前、本気で抗議の電話してきて、嫌んなっちゃう。」


-「キミたちが受験の時に(『発見的教授法による数学シリーズ』(駿台文庫)が)出ると思ったら、大間違いだ!」(1988年度お茶の水3号館[[午前部理1α>スーパー東大理系]]D組にて)
*著作 [#wdf8cfdb]
 著書『Treks into Intuitive Geometry (2nd Ed.) Springer(2023年)』『A Day’s Adventure in Math. Wonderland, World Scientific(2007年)』『発見的教授法による数学講義 全7巻(森北出版)(2013年)』(大学受験生対象)など200余冊(邦英西語)を執筆。

**学習参考書 [#e3929c1a]
-『秋山数学講義の実況中継』上・下(語学春秋社、1986.12~1987.4 絶版)
--駿台の特設単科講座の書籍化。
--絶版でプレミアムが付いている。

-『発見的教授法による数学シリーズ(駿台レクチャー叢書)』(駿台文庫)

-『発見的教授法による数学シリーズ ①数学の証明のしかた』(森北出版 2014.4.19)
-『発見的教授法による数学シリーズ ②数学の技巧的な解きかた』(森北出版 2014.4.19)
-『発見的教授法による数学シリーズ ③数学の発想のしかた』(森北出版 2014.4.19)
-『発見的教授法による数学シリーズ ④数学の視覚的な解きかた』(森北出版 2014.4.19)
-『発見的教授法による数学シリーズ ⑥立体のとらえかた』(森北出版 2014.4.19)
-『発見的教授法による数学シリーズ 別巻①数学の計算回避のしかた』(森北出版、2014年7月19日)
-『発見的教授法による数学シリーズ 別巻②一次変換のしくみ』(森北出版、2014年7月19日)
--元々は別巻ではなかったが、高校の現行課程の範囲外のため、復刊では別巻扱いになっている。

-『秋山仁の数学タイムトラベル : 大学入試に向けて実力アップ! 問題の起源を知れば解法がわかる!(教育シリーズ)』(秋山仁 著 日本放送出版協会、1995年7月)
--1995年7月24日から同年8月11日までNHK教育テレビで放送されたテレビ番組(全15回)のテキスト。
---1995年度の『夏のテレビクラブ』で放送された高校生向けの数学教育番組。
--数学者の秋山仁がタイムトラベルをし、数学史上に残る偉大な数学者たちと対話するという演出の下、数学の定理などを解説していた。
--NHK教育テレビ 月曜 - 金曜 11:30 - 12:00

**一般書 [#fc9f1372]
-『数学流生き方の再発見』(中公新書、1990年9月1日)
-『努力は報われず正義は滅びる−レゲエ数学者の人生談義』(同文書院、1994年4月8日)
-『ゲームにひそむ数理』(森北出版, 1998)
-『知性の織りなす数学美』 (中公新書, 2004)

**専門書 [#o2ab4a39]
-『証明の展覧会Ⅰ,Ⅱ』(東海大学出版会, 2002)
-『Treks into Intuitive Geometry』(Springer, 2015)
-『離散幾何学フロンティア タイル・メーカー定理と分解回転合同』(近代科学社, 2020)

**DVD [#m8f93e0c]

-『秋山仁の入試数学20の戦略(駿台ビデオ講座)』(駿台予備学校通信教育部/MathLab Japan)
--特設単科講座(駿台サテネット21)のビデオ化。

-『秋山仁の入試数学徹底攻略 テクニック編(駿台ビデオ講座)』(NHKエデュケーショナル/駿台予備学校通信教育部/MathLab Japan)
--1991年7月22日〜8月9日放送のNHK教育テレビ「NHK 高校実力アップコース」のビデオ化。
-『秋山仁の入試数学徹底攻略 論法編(駿台ビデオ講座)』(NHKエデュケーショナル/駿台予備学校通信教育部/MathLab Japan)
--1991年8月10日〜8月24日放送のNHK教育テレビ「NHK 高校実力アップコース」のビデオ化。

-『秋山仁の数学タイムトラベル(駿台ビデオ講座)』(NHKエデュケーショナル/駿台予備学校通信教育部/MathLab Japan)
--1995年7月24日から同年8月11日までNHK教育テレビで放送されたテレビ番組のビデオ化。