福井紳一 の変更点

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福井紳一(ふくい しんいち )は、駿台予備学校日本史科講師。

*経歴 [#m6226971]
-1956年5月20日生まれ。
-藤沢市立湘洋中学校卒業。
-慶應義塾高等学校卒業。
-慶應義塾大学文学部美学美術史学専攻卒業。
-明治大学大学院文学研究科博士前期課程修了。
--専攻は日本近代思想史。
-元駿台甲府高等学校教諭。
-駿台予備学校講師。

*授業 [#m6226972]
-授業の情報量が多いのだが、やみくもに暗記を促すのではなく知識として体系的に理解することを求める授業である。論述に使える決まったフレーズを繰り返し用いる。
--「歴史を見ることは現在を見ること。社会に対する鋭い目と視線を低くした人間に対する温かい目を養おう」という立場に立脚した、受験のための詰め込みだけではない、考える日本史を講義している。
//--一方で彼の語る歴史観がマルクス主義・左翼的な位置からであること(自由民権運動は「下からのブルジョア革命運動」である、という説明や天皇制についての言及・認識など)、予備校という受験対策の場で現代社会への問題点を提起し長時間授業を延長することへの批判もある。
---師は保守的な生徒に関しては「私の言っていることを正しいと思う必要はない。自分で考えなさい」と寛大な態度を示しており排他的態度をとることはない。
---また、奥深い授業内容から、講習では明らかに受験目的ではない受講生がいることもある。
-板書を殆どせずテキストに書き込みをさせるスタイルである。板書の際は字こそ癖字で読みづらいものの、とても簡潔で分かりやすく、色使いもかなり考えられている。同じ図を何度も書くため、違う授業で同じ板書となることもしばしば。
--「テキストは自分で作っていくものだ」と仰る。師の説明をメモしない生徒がいると、手を動かし続けることとおっしゃる。
--なお、提供される情報量が膨大であるため、授業スピードはかなり速い。次から次へとメモをしないといけない箇所が出てくるため、手を動かし続けることが大事だというよりは、手を動かし続けないと授業を吸収できない。
---しかし、講習ではかなり加減するため、講習で師の授業を初めて受けるといった生徒は、師の授業スピードを心配する必要はない。
-完全に駿台の時間割を無視した授業スタイルを展開する事で知られる。師にとってキリの良い所で休み時間となり、3コマ目では時に2時間以上講義を延長することもある。特に7〜9限の東大文系演習コースや3・4限のクラスの被害が大きい。
--そのため、夏期講習の2コマ目(13:40~16:30)は17:25まで授業をやることもあり、福井師の次のコマに講座をいれるべきではない。(次も師なら問題ない。)同じ時間帯のハイグレード講座よりも授業が終わるのが遅いことがしばしばある。(東大日本史など)
---2コマ目の授業の際は、3コマ目に師の授業が入っているかパンフレット等で確認しよう。3コマ目に師の授業が無ければ、(かつ他講座による教室使用もない)3コマ目に食い込む事もある。
---師には内緒だが、少なくとも3号館では昼コマ師の授業が入ると、あえて夜コマに他講師の授業を同じ部屋に入れることで延長を休み時間内に抑え込んでいる様である。
---大島師によると最近はずっと同じ部屋に押し込まれている模様。
---用務の方も常に時間がずれることを面倒に思われている様子。(ただ休み時間の10分で他の教室と一緒に急いで清掃しなくて済むことは便利らしい。)
--18時から授業が始まる場合は22時前くらいに終了するのが恒例で、既に校舎内の他の階は照明が落とされ真っ暗になっている。職員も内心さっさと終わらせてほしいと思っていることだろう
--講習の夜コマの最終日では、電気が消えているどころか、正門が閉まっていて、裏口からでなければならないことさえある。
--渡辺幹雄師によれば、ある夏期講習で22:30過ぎまで延長し、新幹線で受講しに来ていた生徒を帰宅難民にさせたことがあるそうである。
--以前行われていた衛星放送で授業を時間内に収めきれず放送が途中で強制終了してしまったことがある。
--ある夏期講習ではあまりの延長の長さに怒った教務が、冷房ではなく暖房をつけて打ち切らせたという暴挙を働いたことも。
--朝一じゃないと講師ですら福井師には会えない。(大島師談)
--大島師は講習期間中は途中入室を嫌うが、福井師の授業が前コマだった場合は、親指をたてて激励してくれる。
--本来は3,4限が授業のはずなのだが、昼休みはおろか5限開始2分前まで延長したことがある。後ろのコマが霜師の現代文だったがこの講義がしばしばランチレクチャー化することも。
--50分で授業を終わらせる気がないなら90分の河合に行ったほうがいいのではないだろうか。いや、それでも時間が足りないだろう。
--2次私大演習の期間は返却物の関係で時間通りに終わる。大島師いわく「不服そう。」
---2018年度の大宮校では師が最後のコマであるのを見て、大島師に「虎の放し飼い」と言われていた。実際は時期を考慮して30分程度の延長で留めていた。
--一年に何度かその後に映像授業の収録や飲み会があると驚くほど時間通りに終わる。それ以外の授業ではそもそも時間通りに終わる気がないのだろう。
-講習の宣伝にも1コマ分使ってじっくり説明する。独学は考慮せずにあれもこれも取った方が良いと仰る事が多い。
---休み時間に授業用のマイクを切らない事があり、階段を上り下りする吐息や講師室での会話などを教室内に生配信する。
--もっとも、基本的には生徒の学習効率を第一に考えていらっしゃるので、師がその生徒の成績事情(日本史に限らず全教科)を十分に知っている場合には日本史にかける時間を数学に回した方がよいなどの助言と併せて「講習は取らなくても良いよ」と仰ることもある。
-左翼的な雑談の多さでも有名。詳しくは下記人物を参照。
--とはいえ、人柄同様自らの政治的思想を押し付けることはせず、あくまで自分の頭で考えることが大事だという立場を取っている。師の主張を全て鵜呑みにしてしまっている生徒も見受けられるが、師の仰っている事はあくまで一つの意見だと捉えるべきで、それを信じるか否かはきちんと自分で判断しなければならない。とはいえ毎年福井師の信奉者がクラスに数人現れる。(ふくistと俗に呼ばれている)
--前期は朝日新聞や東京新聞などの気に入った記事のコピーを両面印刷で配り、読み上げることもごくまれにある。しかし全く日本史と関係ない話というわけではないので、聞いておくべき。(ヘイトスピーチに関する記事を配ってそれにつながる日朝関係史に触れるなど)
--論文のネタになることもあり、とりあえず一応は聞いておくべきである。(以前は論文の講師も勤めていた)
--特に戦後史の講義を聞くと、師の真剣な語り口に引き込まれる内に左寄りに日本を見る視点が育つ。
--某クラスで出席率が2割を割っていることの一因となっていることは否めない。
-このように左翼的な論陣を張るのと師本人のユーモアもあって、特に近現代の授業では偉人の行動がやや誇張されて必要以上に極悪非道もしくは間抜けに語られることがある。天皇であろうと容赦はない。
--とはいえ師の流暢な語りによってまるでドラマのワンシーンを見たような鮮烈な印象がつくため、記憶の引き出しを作る意味では良い手助けとなる。
-生徒を前から順番に当てる事もある。
--通期の授業では前期はかなり当てていくが、後期になると授業進度を優先し、ほとんど当てずに進んでいく。
--あまり頻繁ではなく、当てるとしても授業の本題(=日本史)からは少し逸れるような質問が大半で、回答出来なくて怒られるような事はまずない。日本史に関する質問だった場合でも、正解が分かったかどうか聞くだけで具体的には答えさせない場合が多く、生徒を公開処刑しない優しさが感じられる。
--但し、その本題から逸れる内容が基本的に師にとっては一番熱く語りたい事柄(=政治主張)であることは言うまでもない。無論それとも関係ない完全な余談の時もある。
-質問や添削にも丁寧に応対してくれる。
-雑談が非常に面白く、比較的頻繁に教室に爆笑を巻き起こす(?)。
--しかし、膨大な量の知識を生徒に教授するにあたり授業スピードもかなり早いため、メモ等に必死な生徒も多く、雑談や冗談は面白くても、笑いどころを逃すことが多々ある。
-何度も同じ話をするように感じるかもしれないが、師は生徒の様子や挙手を求めた結果から考えて話しており、そのクラスに必要な内容を話している。そのため、わかっていると思っても本当に自分で論述できるかという視点で聞き直してみるとよい。
-論述の授業では問題の解説を終えると、隣の人と解答を交換させて添削させあい、その後、お互いの解答について議論させあう。
--論述については、議論することが大事であると説く。
---そのため、通期や講習に関わらず、生徒同士で連絡先を交換し、そこで議論することを勧める。
---この際、気になる異性に連絡先を尋ねる不届きはいないと思うが、授業内で議論しあった相手が最適だろう。
--なお、席がまばらな場合でも、師はペア作りに関与しないため、話しかけることが苦手な生徒は、交換する相手がおらず、一人で自分の解答を添削しなければならなくなることもしばしばある。
---その際、師は「はい、自分で相手を見つけるんだよぉ」と言う。
-論述の授業では、問題に必要な知識の解説が主となる。
--問題の要求やリード分の読み取りなどにはあまり深入りしない。
---このことに関しては賛否が分かれている。
---師は、作問者の設問文の設定の仕方が下手なときがあるとして、設問文では要求されていないように見える内容も、リード文の内容や問題の流れから入れるべき場合があるというスタンスをとる。
--しかし、師の論述の授業にしっかりついていけば、定番論述は磐石な状態になる。
-師は、「受験勉強も一般教養の内」として、受験勉強も自分を磨くために利用すればいい、とおっしゃる。
--そのため、受験勉強から少し外れた時事的な雑談なども多い。
--たしかに、何がなんでも合格をめざしている受験生(ほとんどの受験生がそうだろうが)にとっては迷惑な話だが、事実師の雑談は社会を見る上で非常に役立つことが多い。
--また、雑談は多いが、それでも授業内容は濃密である。
*担当授業 [#c5779088]
 お茶の水校(3号館),大宮校,横浜校に出講。
#fold{{{
''通期''
-[[高3選抜日本史]]([[3号館]])
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#fold{{{
''夏期講習''
-[[東大日本史]]([[3号館]]),([[横浜校]]),[[映像>映像講座]]
-[[日本近世史徹底整理]]([[お茶の水校]])
-[[日本近代史徹底整理]]([[横浜校]])
-[[日本現代史徹底整理(戦後史)]]([[お茶の水校]])([[大宮校]])([[横浜校]]),[[映像>映像講座]]
-[[日本文化史(古代・中世)]]([[横浜校]])
-[[日本文化史(近世・近現代)]]([[横浜校]]),[[映像>映像講座]]
-[[日本史特講Ⅱ(社会経済史)]]([[お茶の水校]])([[横浜校]]),[[映像>映像講座]]
-[[早慶大日本史(Summer Special)]]([[大宮校]])

 映像講座(旧・駿台サテネット21)
-[[東大日本史]]
-[[日本現代史徹底整理]]
-[[日本文化史(近世・近現代)]]

-[[日本史特講Ⅰ(日本外交史攻略)]]
-[[日本史特講Ⅱ(社会経済史)]] 対面もあり
}}}

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*人物 [#u28e6495]
-駿台で日本史を教えるかたわら、立教大学・日本獣医生命科学大学・敬愛大学・和光大学で非常勤講師、早稲田大学アジア太平洋研究センター特別研究員も務める。
-現在の日本史科の精神的・思想的支柱である。
--現在なんと駿台勤続40年超。現役の駿台講師の中でも最長レベルである(そのためか、3号館の講師室では一番上座の席を利用している)。
--ただ、実年齢でみると師より年上の講師は数多といる。
-若手の頃から、安藤達朗師、注連本直哉師に次ぐ日本史科No.3と目されていた。
-2004年から東大の青本の解説を執筆されている。
-高校教諭を辞め、駿台講師になるのを機に明治大学大学院に入学した。
-高校時代に渋谷のパルコで配られたお酒を友人と飲んだらしい。そして現代の不寛容さを嘆いた。
-斎藤師と共にショートスリーパーであり、毎日の睡眠時間は三時間程度。
-大の映画好き。映画の話になると止まらない。
--大河ドラマの真田丸を録画していたが、溜まりすぎて重くなり全部消したそうだ。
-「天皇神格化はどこかなおとぎの国の話ではなく、たった70年前の日本の姿ですよ」という台詞を授業でも著書でも繰り返し用いる。
--天皇神格化は勿論現在の象徴天皇の存在もあまり快く思っていないようで、「あの千代田一丁目一番地に住んでるおじいさんが死んだ所で何か世の中が変わりますかー?」とまで発言したこともある。そのおじいさん本人がお気持ち表明された内容を意識して言っているかのようだが、それ以前に仰った事である。
-在日外国人に対するヘイトスピーチも大嫌い。
-長年日本の平和を保ってきた憲法を破壊し、日本を戦争国家へと変貌させようとしている黒幕たる存在である安倍晋三を親の仇のように憎んでいる。安倍晋三が如何に無知で愚かな政治家であるかを授業中に熱弁する。
--例:「安倍は満州事変で日本軍は自ら攻め込んでないと言ったんですよ!日本の歴史が何も分かってないという事ですよこれは!」
---しかも凄いのが「安倍が○年○月の○○の取材でこういう発言をした」と事細かに記憶しているのである。そこまで日本の将来を真剣に憂いてくれているのである。
--2020年に安倍政権は晴れて退陣したが、後継の菅(スガ)政権は安倍政権の継承を掲げているため、こうした批判は続いた。岸田政権になってからは多少トーンダウンしたか。
--ただ、駿台日本史科の中には[[安倍晋三に対する犯罪予告まがいの発言までしている講師>須藤公博]]も存在するが、福井師はそこまでの事は仰っていない。そういった短絡的なバッシングというよりは時の政権の暴挙・時代錯誤性を論理的に批判していたような印象を受ける。
---あくまでも人道主義的な信条が師の左翼的思想の根底にあるのではないかと思われる。
---師は弱者や被抑圧者に対する「同情」の気持ちが根底にあるのだろう。
--こういういかにも"活動家"な方と接する機会も一生の間でそうあるものではないので、ある意味貴重な体験である事は間違いない。別に活動家ではない。
自身の主張を根本的には大学受験のために存在する予備校の授業という場で繰り広げたり、前期は新聞記事まで配り始めたりするので、どうしても少し際立った存在になってしまうと思われる。しかしそういう発言もあってこその福井師の授業だという声もある。
-近年の世間の右傾化を憂い、日本人の同調圧力に危機感を示されている。
--世論やマスコミの煽動で日露戦争や太平洋戦争が展開していった事実を念頭に、「日本は民衆が民衆を締め上げる国なんですよ。民衆が戦争を引き起こした1つの原因であることは知っておかなきゃダメですよ」と仰る。
-長髪に白髪でさらに白い口髭・顎鬚をはやしていている。エネルギッシュな方であり、若い頃の写真からはかなりのイケメンであったという印象を受ける。
--その仙人か雷神のような容姿からして恐らく駿台パンフレットの講師写真紹介で一番インパクトを放っている人物。政治思想が偏っているというのも有名な話なので怖そうな印象を受ける人も多いかもしれないが、実際はそんなことは全く無い。むしろ、質問対応もよく、講師としてはかなり優しい部類に入る。
---ちなみに講師写真は%%写りが良いのか%%切れ味のある雰囲気を醸し出しているが、リアルで見ると意外と丸みを帯びており、正面から見るとスターリンに似た顔立ちである。
--その雪のような髪型と颯爽とした歩き方のおかげで、街中で遭遇しても瞬時に発見しやすい。
--語尾にやたら「なぁ」や「ねぇ」がつく
--年齢の割に服装は比較的カジュアル。
---東急ハンズで店員にサザンオールスターズの桑田佳祐夫妻と間違えられたことがある。
---服や長髪など、サーファー風でもある。藤沢市在住で、藤沢校にはサーフボードを乗せられる自転車で出講することも(職員談)。
-雲幸一郎師は福井師のことを(チャイムが鳴ってから講師室を出る事に関しての)「師匠」と呼んでいる。「師匠」である福井師が講師室を出るまでは雲師も出ないらしい。
-論文科講師の内海信彦とは高校時代からの知人でもある。
-山本義隆師との繋がりも深いようで、共同で「東大闘争資料」という本を作成し東大闘争関連の資料をまとめている。
-代々木ゼミナールの現代文科講師の酒井敏行とも友人である(彼も又、左翼的思想・発言が色濃い)。酒井氏いわく「彼はとても面白い人」らしい。
-自民党の石破氏と同級生だったらしい(池知師談)また、トヨタ自動車社長の豊田章男氏とも高校の同級生らしい。クラスは違ったようだ。
-異性との交際経験が乏しい現代の若者の惨状を憂いている。
--本人はデート中の目撃情報がよくあがる。
-高校で教員をしていたことがある。社会科の教員免許を持っているため地歴公民のどの教科を教えることもできるそう(ただし地理だけは勘弁してとおっしゃっていた)。
-1972年、師が高校1年のときから渋谷のB・Y・Gというライブハウスに通っている。
-師曰く「日本史で一番売れている」山川の教科書があまり気に入ってないご様子。
--上位校受験者の間で山川の教科書が圧倒的に使用されているのは事実である。三省堂(大木伸夫師が「あれは良かった」と評価している)は日本史の教科書をつくるのをやめ、東京書籍の教科書は上位校を目指す生徒にはあまり使われていない。
---もっとも、三省堂は高校社会科の教科書作成全般から撤退したので、山川の教科書の使用率の高さと三省堂の撤退との間に明確な因果関係はない。
--その知名度もあってか様々な点で叩かれることの多い山川だが、ただ単に師が左翼だから不満があるという話でもなく、古い学説に固執してなかなか文章を書き改めない山川の姿勢に「一番売れている教科書ですから、そういうことをされると困るんですよね」と文句を仰っていたこともある。同じ日本史科の塚原師も同様の理由で山川の教科書に批判的な事がある。
---池知師に至っては、佐藤信(東京大学教授)を「Fラン教授」とまでケチョンケチョンに仰る始末。
---塚原師によると、山川はあまりにもシェアが圧倒的なので、従来の定説にこだわる教員も新説を推す教員も使えるように文章に含みを持たせている分、学生が自力で理解するのは困難なあやふやな文章が散見されるらしい。
---池知師「だからあんなつまんない文章が出来上がるわけ」
--福井師ら駿台日本史科が、山川の用語集に対抗する形であすとろ出版から1997年に『日本史新用語集』を出版したが、教科書を発行している山川のブランド力が絶大なこともあり、これまた山川の用語集との競争に負け、すぐに絶版においこまれた。まさに山川無双である。しかしなぜか大宮校に一冊残っているらしい。また稀にネットにも出回るとか。
---この用語集では文化史は駿台古文科が編集するなどした。
---かなりの自信作のようで、師は「ネットで見つけて1000円以下だったら、購入したほうがいいです」とよく勧める。また、沖縄史など特定の分野を詳しく解説するときは、この本の部分コピーを配ることもある。特に琉球・沖縄史の時。
---1000円以下で出回ることはほぼない。
-大学時代美術史を学んでいた。
--そのためか人物・動物・建物等の絵を描くのが上手く、近世・近代の絵画についてもかなりの知識をもっている。またフカヒレがどこの部位がを説明する為に丸ごと1匹巨大なサメの絵を描いた事もあり、絵を描く事自体が好きなのかもしれない。実際絵を描いている最中の師はいつも笑顔であり見ているこちらが癒やされる。(ちなみにこのサメはヨシキリザメであり田沼意次の俵物の説明をなさるときに必ずお書きになる)
--会議中他の日本史科の講師の似顔絵を描いていることもある(角田師談)。
-剣道は4段の腕前。日本刀を語りだしたら止まらない一面も。(この説明の時はほとんど剣道の竹刀と日本刀の絵を描き、なぜ日本刀の竹刀の先が反っているのかや切創の話をなさる。)慶應の剣友会に所属しており、OB会によく出席するそう。OB会ではひたすら日本酒を飲み、ラストオーダーで日本酒3瓶頼んだらしい。大学卒業後も福井師に会いたければ慶應の剣友会に入るのがオススメ。
--稀に刀が絡む事件(相沢事件など)を再現する際に刀捌きの華麗さに驚かされる。
-よく御茶ノ水の丸善に出没する
-1964年の東京五輪の際、運動会で五輪の輪を持って「東京五輪音頭」を踊らされた「少年の日の屈辱の記憶」のせいか、今でもオリンピックが嫌い。
//-とある左翼の会合で、「福井さんもこういう思想だから就職先がなくて駿台に拾われたんだろう」と笑いものにされていた。
-このページを読んで「左翼左翼ってそんなに言う程なのか?」と気が引けた人もいるかもしれないが、ここに書かれている事も福井師の主張同様あくまで一つの意見と捉えて、是非一度自分で師の授業を受けるか下記の著書を読んでみる事をお薦めする。師の展開されるアカデミックで奥深い教養を得る事が出来るだろう。何せ師の授業を受けて同じ駿台講師を志した人物が複数いる程なので、その魅力たるや並大抵のものではないはずである。

//--とはいえ、自分の頭で考えることが大事だと考えており、天皇神格化然り盲目的な個人崇拝を嫌う方なので、この文章を見たら「別に俺に魅力を感じる必要なんて無いですからね(笑)」と仰るかもしれないが。
//センシティブな内容が多いため、Wikiの本来の目的に照らしてみるならば、編集者の感想を挟むことは極力避けるべきである。
*語録 [#ua37f3b8]
-「はい、それじゃあやっていきましょう。」
-「例えばお茶の水(の)太郎さんがそこらへんの・・・」
-「はいじゃあ、今日は〇〇のところからですね~」
-「ちゃんと手動いてるか~?今言ったの(が)全部記述の回答(になるん)だぞ〜?」
-「それじゃ一番前の君、どう?」
-「はいじゃーちょっとこっち見てー」
-「はい、じゃあ、採点してごら〜ん?」
-「(授業終了のチャイムの時に)お〜、いま何か鳴ったか〜?聞こえなかったなぁ〜」
-「(無茶な設問を読んで)・・・について説明せよ。って、こんなの試験会場で書けるかって話なんだよ、なぁ?お前がやれよって話だよなぁ!」
-「答案に第一次安倍内閣って書いてる奴が居て、あんなのに第二次なんかねぇだろって思ってたら、ほんとにまた出てきちゃったんだよなぁ!」
-「琉球処分以来沖縄に何か一つでも良いことがあったか~?そう考えるとやっぱり琉球独立の動きが出てきてるっていうのは、良いことだと思いますね」
-「怨霊怨霊って、そんなこと言ったらそこら辺の模様とかみんな顔に見えてくるよなぁ!」
-「駿台では沢山友達作っといた方が良いぞ~、周りの人ともちゃんと話しときな」
-「大戦当時のアメリカでは、日本人は極楽浄土に行きたいから特攻するんだなんて理論が唱えられてたらしいけど、そんな馬鹿な話ねえよなぁ!だから現代のイスラムのテロなんかも、その背景をちゃんと考えないと」
-(金解禁をなぜ恐慌中に断行したかについて)「『ニュースです。今日は暗黒の木曜日です。今日から恐慌が始まりますが頑張りましょう!』なんて放送あるわけないだろー?なぁ?」
-「将来面接で『日本は共和国です』なんて言ったらそこでおさらばだぞ〜?フランスは共和国だな。アメリカやドイツも共和国だ。イギリスや日本は共和国じゃねぇよなぁ。何が違う?そう、前近代の尻尾まだ生え残ってんだろぉ?」
-「荘園のイメージとして大事なのは、富のとれる人間付きの土地ってことなんだよ。いいか〜?ねぇ?鳥取砂丘もらったって嬉しくないだろ〜?なぁ?」
-「人間金持つとすぐに海外の物を欲しがるからな。外車いっぱい止まってんだろ、SAPIXの前」
-「6歳以上の男女に土地を与えるって言ったって、6歳の誕生日に朝起きたら目の前にリボン付きの土地が置いてあるなんて、そんなバカな話ねぇよなぁ!」
-「これはおとぎ話じゃなくて70年前の日本の話です」
-「この映画見とくといいですよ、机に向かうだけが勉強じゃないですからね」
-「よーし、じゃあ今やったこと次の時間までに文章化しとけよぉ」
- 「知らないってことは暴力的なことなんですね。知らないから良いってことじゃなくて、なぜ知らなくて済んでいるのか、なぜ知るべきことを知ろうとしなかったのかってことは、ある意味で暴力的な時もあるんですね」

*著作 [#j5d5cfc5]

**学習参考書 [#mc0ab0a9]
-『センター試験短期攻略問題集 日本史(駿台受験叢書)』(駿台文庫、1994年10月)
--安藤達朗・注連本直哉共著『必修 日本史 問題精選』が、他科目とは違い『センター試験短期攻略問題集』としてリニューアルされずにそのまま出版され続けたため新たに出版された。
--福井師自身は本シリーズとして書いたつもりはなかったらしい。
--「短期攻略センター」の項に書かれている「過去には独立した参考書として出版されていたが、ある時『短期攻略センター』シリーズに組み込まれてしまったらしい。」という記述は誤りである。
-『センター試験短期攻略問題集 日本史B 改訂版(駿台受験シリーズ)』(駿台文庫、1997年7月)
-『短期攻略 センター日本史B』(駿台文庫)
--『センター試験短期攻略問題集』の改訂版・

-『駿台模試精選 日本史(駿台受験シリーズ)』(駿台文庫、2019年7月31日)

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**一般書 [#df973e9c]
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https://www.amazon.co.jp/%E6%88%A6%E4%B8%AD%E5%8F%B2-%E7%A6%8F%E4%BA%95-%E7%B4%B3%E4%B8%80/dp/4041045770

**wiki内リンク [#aac86d18]
-戦後史をよみなおす
-日本史 論述研究 -実戦と分析-