神津陽 の変更点

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神津陽(こうづ あきら 1944 - )は、元駿台予備学校論文科講師。
神津陽(こうづ あきら 1944年 - )は、評論家。元駿台予備学校論文科講師。

*経歴 [#sd3e9102]
-愛媛県宇和島市出身。
-愛媛県立宇和島南高等学校卒業。
-中央大学法学部一部法律学科卒業。
-元 駿台予備学校論文科講師(1990 - 1998年度)。

*授業 [#r1c5d8f3]
-講義の口調は眠気を誘うが、よく聞いていると結構ためになる。
-板書は汚い。
-配布プリントは熟読しておくと役に立つ。
*担当授業 [#s1e73a11]
-法学系論文
-社会科学系論文

*人物 [#na969362]
-1990年の論文科設置当初から出講。
-駿台の経営難を受けて解雇されたことを不当解雇とし、駿台を相手取って労働争議を行なった。
--指導方針の違いにより、最首悟師らと対立したことも要因と言われる。
--駿台側は名誉毀損を理由に損害賠償金1億5000万円を求めた。
--最終的に駿台側は解雇通知、損害賠償請求を棄却し、和解金を支払った。
-1990年の論文科開設とともに講師に就任。
-法学系論文を担当し、主に社会科学系の学科を志望する受験生に小論文指導を行った。
-しかし受験生への指導方法をめぐり駿台論文科の主任であった最首悟や同僚講師陣と対立。
-この対立を背景に、受験生世代減少に伴う生徒減で経営合理化を企図する駿台から1998年に解雇を通告される。
-反発した神津は労働組合を結成して同時期に解雇された世界史科講師とともに労働争議として解雇の是非を争うこととなる。
-また駿台の不透明な経営実態告発を、神津個人のホームページや駿台校舎周辺でのビラ撒きで情宣の一環として行ったところ、1999年駿台から名誉毀損による1億5千万円の損害賠償を求め提訴され、マスコミをにぎわす駿台争議へと発展した。
-この争いは東京都労働委員会の調停により2000年に和解、駿台側が損害賠償請求・解雇通知を取下げ和解金を支払うことで決着し、事実上労組勝利に終わった。

-大学生時代は全共闘において、学生運動の中心的指導者の1人。
--共産主義者同盟叛旗派を結成していた。

-紳士的な最首悟師とは対照的な身なりである。
//--しかし老婆心ながら、他人を身なりで判断してはならないことを申し添えておきます。
-たまに混同されるが、イケメンロン毛だったのは永澤哲師である。
-たまに混同されるが、イケメンロン毛だったのは[[永澤哲]]師である。

-自身でネット掲示板「神津塾」を主宰。https://blog.goo.ne.jp/myoudenotu/e/efb2323bd1a5d508a66d89cbc55d1429#comment-list(2022年)
--旧板では、ひょんひょろくん(2020年逝去)との丁々発止のやりとりが好評だった。

-2020年のコロナ騒ぎの時にも、国家に逆らい、自粛を拒否して、月例の宴会を強行していた。
-神津師近況。
「コロナ禍ばかり目立つ昨今ですが、神津陽が心房細動のカテーテル手術に成功し2020年7月16日午後に無事にみごと退院しました。
社会革命の新時代には、運がよいのも才能の一つかも知れませんね。」(本人回覧板より一部編集のうえ、転載)
2022年秋手術の告知以降、本人投稿がない。容態が心配される。