河合塾 の変更点

Top > 河合塾

//河合塾(かわいじゅく)は、日本の大手予備校である。
//駿台予備学校、代々木ゼミナールと並んで俗に「三大予備校」と呼ばれる。

 ''河合塾''(かわいじゅく)は、愛知県名古屋市を本拠とする日本の大手予備校、および同予備校(専修学校・各種学校)を運営する学校法人(東北地区のみ準学校法人文理学院)。

 代々木ゼミナール、駿台予備学校と並ぶ三大予備校の一つである。

*概要 [#wdc605df]
-前身は、英文学者・河合逸治が1933年11月5日に名古屋で開設した私塾「''河合英学塾''」。
-1937年5月5日に「''河合塾''」と改称。
-1942年4月1日,私立学校令により愛知県から設置認可を受け,各種学校「''河合高等補習学校''」(定員550名)となった。
-1944年3月31日を以て廃校。
--校舎は名古屋市に貸与され,名古屋市立女子医学専門学校(現・名古屋で市立大学医学部)の新設に充てられた。

//-1944年からの戦時下における廃校期間を挟んで、1947年に私塾「''河合塾''」として再興。
-1947年に私塾「''河合塾''」として再興。

-1948年5月31日、再び愛知県から認可を受けて各種学校「''河合高等補習学校''」と改称。
-1955年3月14日、愛知県から''学校法人河合塾''の設立認可(学校名は変更なし、理事長:河合逸治)。
--1955~74年にかけて、法人名は「河合塾」、学校名は「河合高等補習学校」という時期が続いた。
-1958年、大蔵省(当時)から非課税校として認可を受ける。

-1971年、夜間部補習科を「グリーンコース」と改称。

-1974年4月1日、「河合高等補習学校」から「''河合塾''」に校名変更実施。
--千種校、名駅校、名古屋校。

-2022年 - 4月1日、宮城県仙台市に本部を置いていた「学校法人文理学院」を吸収合併。2006年から文理学院が握っていた河合塾仙台校(旧・文理予備校=1991年に「河合塾文理」、2006年に「河合塾仙台校」に改名)の運営権を取得。河合塾仙台校は完全直営となる。

//※出典:河合塾五十年史編纂委員会(1985)『河合塾五十年史』学校法人河合塾.
//1933年、創立者 河合逸治が自宅を開放して「河合英学塾」を創設。
//1937年、「河合塾」と改称し、桜山校(名古屋市)開校。
//1955年、「学校法人河合塾」に改組。
//-1948年、愛知県から各種学校の認可を受けて「''河合高等補習学校''」と改称。
//-1955年、愛知県から学校法人''河合塾''の設立認可。
//-1947年に私塾「河合塾」として再興。

*特徴 [#q0faeb4f]
-「学者が大学受験の為の英語を生徒に教える」と言う点で見れば、駿台と河合塾のルーツは極めて似ている。
-河合塾の模試は全国統一模試(全統模試)などが有名であり、「模試の河合」と呼ばれることがある。
-キャッチコピーは、「すべては一人ひとりの生徒のために」。塾訓は、「汝自らを求めよ」。
-駿台がライバル視する数少ない予備校。
--授業中に河合塾を批判する講師も少なくない(某代ゼミほどボロクソに言う講師はあまりいないが)。%%他校批判は生徒の笑いを取りやすいからだろうか。%%
--%%駿台と河合塾は上層部同士は非常に仲が良い。両校を兼任する講師が多数いる、双方とも大学との兼任講師が複数いることからアカデミックな校風が似ていることからも納得できる。「理系の駿台、文系の河合」であり、優秀な学生を分野により仲良く分け合っている。お笑い系の代ゼミなどとは全く格が違う2校なのである。%%[独自研究]←上層部笑
--[[竹岡広信]]師「駿台予備学校!学校だよね!?河合塾!塾だよね!?代々木ゼミナール!もう訳がわからんね!!」

-本拠地は名古屋にある。
--1937年、''河合塾桜山校''(名古屋市)開校。
---記念すべき第1校は名古屋市昭和区桜山で始めた桜山校で、桜山には今でもオフィスがある。
---跡地には河合塾記念館がある(平成11年開館)。
建物は、創設当時の外観を復元したものです。
--現在の本部は桜山校から本部機能を移転した''千種校''(千種キャンパスとも呼ばれ、河合塾の本部が置かれている)。
#fold{{{
''名駅校・名古屋校''
-1956年:初代''河合高等補習学校名駅校''開校。
--木造2階建のこじんまりとした校舎だった。
--以後、名古屋市内に校舎を展開。

-1965年3月:2代目河合高等補習学校名駅校竣工。
--全鉄筋コンクリート製の4階建ての校舎となった。
--1966年3月:2代目名駅校の増築部分が竣工。

-''旧名駅校'':1984年リニューアル。現名駅校(新名駅校)の左(北隣)の場所に3代目名駅校(=18号館名駅校)開校。
''名駅キャンパス18号館名駅校''と呼ばれていた。この校舎の完成により、16号館、18号館といった名称が生まれる。
--主に私大受験コースがあった。
--2006年4月:東大・京大館/医進館となる。
--2021年2月8日閉鎖。新名駅校開校に伴い閉校。同年解体が行われた(JR東海がリニア名古屋駅建設に伴う用地買収の移転用地として取得済み)。
--旧名駅校:愛知県名古屋市中村区椿町1番8号
//--新名駅校の左(北隣)にあった旧名駅校は解体された(JR東海がリニア名古屋駅建設に伴う用地買収の移転用地として取得済み)。

-1974年''名古屋校''開校。
--1974年3月4日、竣工(認可も同日)。8階建て。
--1974年4月1日、河合高等補習学校名古屋校から河合塾名古屋校に校名変更。

-1976年、初代16号館名古屋校
--1976年4月:2代目16号館名古屋校と同じ場所に開校。
--1985?年:北側の用地に校舎を増築する。(2代目16号館)
--地下1階、地上9階建の当時としてはとても大きな校舎であった。

-1987年、2代目16号館名古屋校(北館)。旧名古屋校。
--https://nakayama-sekkei.co.jp/%E6%B2%B3%E5%90%88%E5%A1%BE%E5%90%8D%E5%8F%A4%E5%B1%8B%E6%A0%A1/
--竣工年1987年(昭和62年)。地下1階地上9階建。
--名古屋校の完成により2012年12月11日に閉館となった。
--''名駅キャンパス16号館名古屋校''と呼ばれ、名古屋・名駅地区の主力校舎だった。
---主に国公立大受験コース。
--愛知県名古屋市中村区亀島2-6-4
--現在は、''河合塾啓発寮''((仮称)河合塾名駅新寮)とコインパーキング(と街路灯の河合塾の看板)がある。

-2012年12月12日:''新・名古屋校''開校。
--名古屋駅前(名古屋駅西口(太閤通口)交差点角)に新築移転した。
--https://resemom.jp/article/2012/10/09/10221.html
--かつては、自習室と受験書籍専門の書店が入ったこじんまりとした建物があった。
--2012年12月12日、(2代目)16号館名古屋校から移転。
--竣工年月2012年8月。
--地方旧帝大や早慶、その他コースはここが本拠地となった。
--名大・国公立大・早慶大・私大と、一人ひとりの目標にあわせた指導を行う(ウェブサイトより)
--コースはEXコースや、大学別コースなどがあった。
--所在地が名古屋ということで、名古屋大学志望の生徒が大多数を占めた。
--9年後の2021年2月に名駅キャンパス名駅校との移転統合に伴い閉鎖。跡地はリニア中央新幹線名古屋駅の建設予定地になっている。
--http://machicarrot.com/blog/37296
--愛知県名古屋市中村区椿町2番1号
--2012年に竣工したばかりだったが、リニア名古屋駅の建設用地にあたるため、わずか9年での解体となった。
//--2021年4月に、''名駅キャンパス名駅校''(((1984年,2021年)18号館名駅校[医進館/東大・京大館](2021年2月8日閉鎖)※ 2021年のリニューアルにて、名古屋校を統合。))と''名駅キャンパス名古屋校''((旧納屋橋校の機能を引き継ぐ形で1974年に開校。16号館名古屋校と呼ばれ、名駅校などと共に名古屋駅周辺に展開していた。2012年に新校舎に移転したが、9年後の2021年2月に名駅キャンパス名駅校との移転統合に伴い閉鎖。跡地はリニア中央新幹線名古屋駅の建設予定地になっている。))が統合され、JR名古屋駅西側の旧ザ・グランドティアラ名古屋駅前跡に、新たに%%「(仮称)河合塾新名駅キャンパス計画」%%“''名駅校''”として開校した。

-2021年4月に新“''名駅校''”(東大京大医進館/名大難関進学館)が開校した。
2020年:現名駅校の建設開始。
2021年2月:新・名古屋校と旧名駅校が統合し、(4代目)現名駅校が開校。
--JR東海が愛知冠婚葬祭互助会から取得したJR名古屋駅西側の結婚式場「ザ・グランドティアラ名古屋駅前」(1982年竣工)の跡地の一部を河合塾がJRから取得。跡地に''名駅キャンパス名駅校''(東大・京大館/医進館)と''名駅キャンパス名古屋校''が統合して、新たに%%「(仮称)河合塾新名駅キャンパス計画」%%“名駅校”(東大京大医進館/名大難関進学館)として開校した。
//--''名駅キャンパス名駅校''(東大・京大館/医進館)と''名駅キャンパス名古屋校''が統合され、JR名古屋駅西側の結婚式場「ザ・グランドティアラ名古屋駅前」跡に、新たに%%「(仮称)河合塾新名駅キャンパス計画」%%“名駅校”(東大京大医進館/名大難関進学館)として開校した。
}}}

-1977年の学校法人河合塾の東京進出(駒場校開校)が「予備校戦争」の端緒といわれる。
--後の三大予備校の間に限って言えば、当初は(少なくとも表面的には)さほど厳しい空気が流れていたわけではなかった。((三上敦史(2014)「河合塾の東京進出―「東大入試オープン」と駒場校の創設―」, 教育科学編『北海道教育大学紀要』64(2), p.257, 2014-02.))
--野島博之師が駒場校一期生である。

-現在では全国に多数の校舎を展開している。
--ローカル予備校に過ぎなかった河合塾が全国進出を果たせたのは、外資系商社や証券会社など、外部から教育の門外漢である若いビジネスマンを積極的にヘッドハントした((三上敦史(2013)「河合塾による『全統模試』の創設―模試を通した新しい情報戦略の展開―」, 教育科学編『愛知教育大学研究報告』 (62), p.132, 2013-03-01, 愛知教育大学.))ことによる。
--提携予備校やグループ会社の河合塾マナビス、河合塾ライセンススクールなどを合わせると、それはそれはとんでもない数に…
--かつては、衛星放送講座「河合サテライト講座」を受信受講する提携予備校を始めとするサテライトネットワーク校もあった。
-札幌では地元の老舗予備校・札幌予備学院を吸収、仙台では地元の老舗予備校・文理予備校と提携した。
--現在でも[[仙台校]]は別法人運営である(文理予備校は1991年に河合塾文理に、2006年には河合塾[[仙台校]]に改称し、現在に至る)。
-首都圏においても、[[3号館]]に対抗した本郷校、[[市谷校舎]]に対抗したあざみ野館%%など、河合塾側も駿台への対抗意識満々である。
--2022年度、自由が丘現役館が移転し、「自由が丘校」として新規開校する。((2022年度より、旧あざみ野館から大学受験科を移管し、自由が丘校【学校法人河合塾主催】として新規移転開校する。2022年2月,3月は一時的に自由が丘現役館と自由が丘校が併存している。))
---駿台も対抗して自由が丘校に高卒クラスを設置すると予想されたが、%%校舎が小さすぎるため%%今のところその動きはない。
--2022年度、駿台あざみ野校閉鎖に伴い?河合塾もあざみ野館が規模を縮小し、あざみ野現役館という名称に変わった(河合塾もあざみ野館及び藤沢館の経営が厳しいことがわかる)。

-2008年度から2021年度まで、株式会社エスイージーと提携した。
--本郷校・麹町校に新設された浪人生用の「東大プレミアムコース」、「医進プレミアムコース」の数学は、SEGの数学講師が、テキスト・授業ともに担当していた。
青純伝説
河合のプレミアム医進コースに出講
このコースの数学はSEG講師が3人で分担するのだが…
青純「まあ他の2つ(SEG講師の数学)は普通のコースと大して変わらないと思いますが俺の授業だけは違うんで」
これは他の2つでは受験の定石をカバーする必要があったのに対し、青純の担当だけは好きにやれるという事情があっての発言です(そんな任され方をされてるのが既に伝説ですが)
それが「数学の真髄」の元になりました

//--本郷校と麹町校のプレミアムコースでは、SEGの数学科が出講しテキストも監修している。
-河合塾の最上位コースは[[3号館>https://web.archive.org/web/20210303030536/https://pchira.wicurio.com/index.php?cmd=ambiguous_link&page=3%E5%8F%B7%E9%A4%A8]]や市谷SAと同じくらいの合格率を誇る。

-駿台と比べて校舎が大規模で設備も優れていることが多い。
--念願の横浜校2号館建設と同時に河合塾も[[横浜校>https://web.archive.org/web/20210303030536/https://pchira.wicurio.com/index.php?cmd=ambiguous_link&page=%E6%A8%AA%E6%B5%9C%E6%A0%A1]]を新築したが、その設備の差に[[横浜校>https://web.archive.org/web/20210303030536/https://pchira.wicurio.com/index.php?cmd=ambiguous_link&page=%E6%A8%AA%E6%B5%9C%E6%A0%A1]]の教務ですら驚いていた。
-2020年は、新型コロナウイルスの件で受験生応援として夏期講習を高卒は3コマ、高3は2コマ、高1,2は1コマをなんと無料とした。太っ腹である。
--ほかにも地方校舎は緊急事態宣言解除後授業を再開し、なおかつ映像も配信し続けることで生徒が安全を考慮しどちらかを選べるようにした。
--コロナ対応は駿台よりよっぽどよかった。
*講師 [#if2eaa5a]
-1973年の秋、全共闘の元活動家を講師として意識的に採用し始め((三上敦史上敦史(2014)「河合塾の東京進出―「東大入試オープン」と駒場校の創設―」, 教育科学編『北海道教育大学紀要』64(2), p.252, 2014-02.))、代々木ゼミナールとともに、いわゆる「''名物講師''」による「''予備校文化''」の礎を築いた。
-基本的には他の予備校と兼任している講師を選ぶことが望ましい。←何言ってんの?そもそもここに書くなよ
**現職講師 [#jc20e385]
-全国的な有名講師には、[[世界史>https://web.archive.org/web/20210303030536/https://pchira.wicurio.com/index.php?cmd=ambiguous_link&page=%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%8F%B2]]の青木裕司先生(元水城学園)などがいらっしゃる。他にも、センター[[化学>https://web.archive.org/web/20210303030536/https://pchira.wicurio.com/index.php?cmd=ambiguous_link&page=%E5%8C%96%E5%AD%A6]]実況中継で有名だった東大教授に直に文句も言える[[化学>https://web.archive.org/web/20210303030536/https://pchira.wicurio.com/index.php?cmd=ambiguous_link&page=%E5%8C%96%E5%AD%A6]]の小川裕司先生、医進専門の毒舌魔髙木賀正先生(慶応医学部や横市の[[化学>https://web.archive.org/web/20210303030536/https://pchira.wicurio.com/index.php?cmd=ambiguous_link&page=%E5%8C%96%E5%AD%A6]]を担当しており河合の医進関係の[[化学>https://web.archive.org/web/20210303030536/https://pchira.wicurio.com/index.php?cmd=ambiguous_link&page=%E5%8C%96%E5%AD%A6]]に責任者なのでおすすめ)など、駿台に負けない分野の先生もいらっしゃる。
--青木裕司先生は河合塾福岡校の有名講師であるが、駿台大阪校wikiでは%%無能な編集者により%%なぜか「駿台福岡校出身」と誤記されている。

-大西正浩(化学。近畿地区)
--長年、関西で石川正明師と人気を二分している。
--東進兼任(後に完全移籍)で鎌田真彰師の後任として東大特進化学を担当している大西哲男先生、元・代々木ゼミナールの伝説の人気講師・大西憲昇先生、伝説の名著『最短コース 化学 総括整理』(高木書店)で有名な大西一郎先生(元・近畿予備校)とは別人である。
**兼任講師(駿台) [#bb81809e]
-駿台と兼任する講師もいる。
--沖暢夫師、相川雅昭師、國兼欣士郎師など。

*元講師 [#x1627d80]

**現役 [#u1e453b0]

 有名どころを列挙すると

-斎藤慶介(化学科。中部地区)
--代々木ゼミナール関西地区、進学塾ビッグバンを経て現在は理数研セミナー石橋。
--物理の浜島清利先生とともに千種校で公開単科ゼミを持っていた。
-長井敏弘(数学)
--代々木ゼミナール大阪校開校時に英語の吉田敦彦先生とともに引き抜かれたが、東京進出は失敗。広島に戻り長井ゼミを主宰。

-田部眞哉(生物)
--元研数学館。
--1997年度に東進に引き抜かれた。
-岡野雅司(化学)
--元研数学館。
--元東進兼任で元祖『はじめからていねいに』。

-石川晶康(日本史)
--菅野祐孝先生(元武蔵予備校。元代々木ゼミナール)に替わり『実況中継』で有名。
-苑田尚之(物理)
--長年、東進と兼任していたが完全移籍。慶応医学部や医科歯科、横市の物理と担当しているので直前はお勧めだった。

-照井俊(化学)( - 2023年3月30日)。
--現・クラフトマン。
-青木裕司(世界史)( - 2024年3月)。
--元水城学園。2024年度に英進館に移籍。
***元駿台 [#k9067847]
-今井宏師(兼任を経て駿台に移籍。代ゼミを経て現・東進。)
-古川昭夫
-今野和浩(駿台、代ゼミ兼任)
-志田晶(数学科、中部地区)(駿台名古屋校兼任。現・東進。)

-西山清二(数学)(1994 - 2022年度)

**引退 [#n8c682fa]
-かつては、元ENAの奥田猛先生、
1984年大学共通一次試験現代[[国語>https://web.archive.org/web/20210303030536/https://pchira.wicurio.com/index.php?cmd=ambiguous_link&page=%E5%9B%BD%E8%AA%9E]]を的中させた牧野剛先生、
東大現代文を的中させた大川邦夫先生、
東大地理の第一人者、権田雅幸先生などがいらっしゃった。

***元駿台 [#b2391557]
-田丸延男
-太庸吉師(兼任)
-土師政雄師(兼任)
-早川

*授業 [#ec16d30f]
-90分授業。
--駿台ではほとんど雑談をしない講師も、河合塾では雑談を挟んだりする。

-週毎に授業で扱う内容が決まっている(⇄その分、その日中に終わらせなくてはいけない)。
--欠席フォロー制度として、他曜日・校舎に振替したり、その週の映像授業を受講できる。
-欠席フォロー制度として、他曜日・校舎に振替したり、その週の映像授業を受講できる。

-上位クラスは150分授業または180分授業。
--基本毎週テストゼミで、答案は担当講師によって採点され、返却される。この点に関しては、河合塾が優れている(講師によっては採点を外部委託をする為、必ずしも質が良いとは言えない)。
-東大現役進学 河合塾MEPLOは3〜5時間授業。
--テストゼミは担当講師が採点する。駿台と同様、座席指定制となっている。駿台予備学校の特別選抜と同様の扱いとなる。

*テキスト [#l99b8957]
-駿台は通期コースのテキストであっても意外と監修講師のクセが強く出ていたりするが、河合塾のテキストはよくも悪くもオーソドックス(没個性的)である。
-駿台通期テキストは一部を除き隔年で使い回しなのに対し、河合塾のほとんどのテキストは毎年、改訂されている。
-講義編のテキストやサブテキストがよくできている。
-季節講習の教材は微妙(というより、駿台の教材が優れている)。
--薄くてショボいものが多い。

-表紙がテカテカの紙質のせいか傷みやすい。

*模擬試験 [#bbfe566c]
-1972年に「全国進学情報センター」設立して、全国統一模試(全統模試)開始。((三上敦史(2013)「河合塾による『全統模試』の創設―模試を通した新しい情報戦略の展開―」, 教育科学編『愛知教育大学研究報告』 (62), pp.131-137, 2013-03-01, 愛知教育大学.))

-主に「全統模試」と「大学別入試オープン」を実施している。
 

**沿革 [#fe89678a]
-1965年度は、通常は塾生のみを対象に実施しており、「河合塾公開模擬試験」(河合塾模試)と称し、年に2回だけ公開していた。
--年7回の必須模試のうち、第5回は旺文社全国模試で、第3回、第6回が公開模試。第6回は代々木ゼミナール他、3高校と共催。
-1966年度に、全ての回を公開模試としたうえ、東京の有力予備校3校(一橋学院、駿台高等予備校(当時)、代々木ゼミナール)との共催模試を各1回で計3回、全国学生文化厚生団体連合(学文連)の「名大学力コンクール」を3回採用して組み込んだ。
--駿台高等予備校の駿台模試とは、1966年度から1969年度まで提携していた。
-1967年度からは、「東大学力コンクール」「京大学力コンクール」も採用。
また、一橋学院との共催模試を発展的に解消し、全国9予備校で共催する「全国私大模試」(別名「早慶模試」)を創設した。
-1969年度からは、河合塾模試を「大学入試中部統一模擬試験」(中部模試)と改称した。
-1970年度に、全国私大模試を共催してきた予備校のうち一橋学院・関西文理学院・コロンビア予備校を選び、中部模試を実質的に全国展開させる形で、「大学入試連合模擬試験」(連合模試)を創設した。
-1972年3月、全国7予備校と図って「全国進学情報センター」(全進)を設置し、連合模試を改称した「大学入試全国統一模擬試験」(全統模試)を実施した。

**特徴 [#n9dc97ff]
-母集団が大きい。
--駿台模試に比べて超優秀層の受験者は少なく、医学部志望者からは判定を当てにされていない。
-よく練られた癖の少ない出題が多い。
-採点は比較的丁寧である。

**全統模試  [#p7bec10b]
-正式名称は「大学入試全国統一模擬試験」(沿革参照)。
-センター試験対策用の全統マーク模試(センター試験プレテストを含む)、2次&私大対策用の全統記述模試などがある。
-全統マーク模試(2020年2月以降は「全統共通テスト模試」)と全統記述模試は、全統模試の2枚看板であり、毎年多くの受験生を集めている。

**入試オープン [#q0413123]
-1974年、駒場校の開校を前にして、日本初の(本格的な)特定大学模試(とされる)「東大入試オープン」を実施。
--実際は、1968年に大学紛争で消滅した学生団体主催の「東大(全国)学力コンクール」(東京大学学生文化指導会主催)などがあり、河合塾も1966年から名大コンクール、1967年から東大コンクール・京大コンクールを採用していた。((全国型予備校が形成される以前の時期において、全国の主要な国立大学の学生団体が結成した全国組織「全国学生文化厚生団体連合」(学文連)が高等学校や受験生に受験情報を提供していた。「東大学力コンクール」を実施した東京大学学生文化指導会、「京大学力コンクール」を実施した京都大学学生親学会など、模擬試験を中心とし、他に出版事業や講習会・通信添削など関連する事業を行っていたサークルで、一時は全国の有力大学に存在したが、1970年3月、大学紛争の高まりの中、受験戦争を煽り、受験生を相手に金もうけをすることを自己批判して学文連の構成団体は一斉に解散し、学力コンクールは消滅した。))

-1994年度からZ会と業務提携し、東大即応オープン、京大即応オープンなどを共催していた(1994~[[2018年度>https://web.archive.org/web/20210303030536/https://pchira.wicurio.com/index.php?cmd=ambiguous_link&page=2018%E5%B9%B4%E5%BA%A6]])。
--なんと2018年8月に、Z会が駿台予備学校と2019年度から提携することを発表。河合塾との提携は解消してしまったようである。
---「でも、河合塾もZ会との提携やめるらしいし、いろいろ大人の事情があるんだね」(森下師談)


【参考】

 三上敦史(2014)「河合塾の東京進出―「東大入試オープン」と駒場校の創設―」, 教育科学編『北海道教育大学紀要』64(2), pp.247-259, 2014-02.

*出版部門 [#naf0ea32]

 河合出版(元・進学研究社)という出版部門がある。
-1974年 - 出版事業開始。
-1983年 - 「株式会社河合塾進学研究社」設立。
-1989年9月13日 - 「株式会社河合出版」設立。

-参考書は河合出版の方が駿台文庫よりも一部では高い評価を得ている。(Amazonのレビューより)
--もちろん駿台文庫にも受験の定番と呼ばれる参考書(だいたいは伊藤和夫師、山本義隆師等の参考書と言った歴史あるものが多い)はあるが、河合出版の方が受験の定番としてみなされる参考書が多い。[要出典]
ただ、全体として駿台文庫の方が難易度が高い参考書となっている。
また、駿台文庫の参考書には酷評されるものもあるが、河合出版にはそのようなものが少ないのも特徴。レイアウトは圧倒的に河合出版に軍配が上がる。
--[[数学>https://web.archive.org/web/20210303030536/https://pchira.wicurio.com/index.php?cmd=ambiguous_link&page=%E6%95%B0%E5%AD%A6]]では『やさしい理系[[数学>https://web.archive.org/web/20210303030536/https://pchira.wicurio.com/index.php?cmd=ambiguous_link&page=%E6%95%B0%E5%AD%A6]]』『医学部攻略の[[数学>https://web.archive.org/web/20210303030536/https://pchira.wicurio.com/index.php?cmd=ambiguous_link&page=%E6%95%B0%E5%AD%A6]]』など、[[英語>https://web.archive.org/web/20210303030536/https://pchira.wicurio.com/index.php?cmd=ambiguous_link&page=%E8%8B%B1%E8%AA%9E]]では駒橋輝圭師も推奨する『やっておきたい[[英語>https://web.archive.org/web/20210303030536/https://pchira.wicurio.com/index.php?cmd=ambiguous_link&page=%E8%8B%B1%E8%AA%9E]]長文』シリーズなど、%%持ち主が使いこなせているかは別として%%現役生のシェア率の高い問題集が多い。
-大学入試センター試験(大学入学共通テスト)の過去問集である過去問レビューと全統マーク模試の過去問等が掲載されたマーク式総合問題集(通称「黒本」)と特定大入試オープンの過去問集である入試攻略問題集(通称「紫本」)は、教学社の「赤本」、駿台文庫の「青本」、代々木ライブラリー(日本入試センター)の「白本」、Z会またはナガセ(東進ブックス)の「緑本」と並びよく知られている。
--センターの過去問集(黒本)に関しても駿台より評判が良い。
--「過去問」の項に『入試攻略問題集』についても詳しい記述があったが、何者か(荒らしか無能編集者?)によって削除されている。
-かつては、駿台文庫から出る参考書のような学術書に近い書籍(「理系 [[化学>https://web.archive.org/web/20210303030536/https://pchira.wicurio.com/index.php?cmd=ambiguous_link&page=%E5%8C%96%E5%AD%A6]]精説」,「[[日本史>https://web.archive.org/web/20210303030536/https://pchira.wicurio.com/index.php?cmd=ambiguous_link&page=%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8F%B2]]精説」など)も多く出版されていたが、2010年代ではその様な内容の本は「理論[[物理>https://web.archive.org/web/20210303030536/https://pchira.wicurio.com/index.php?cmd=ambiguous_link&page=%E7%89%A9%E7%90%86]]への道標」や「医学部進学のための特別講座 医学・医療概説」程度に留まっている。


*参考文献 [#b565b3f5]



-河合塾五十年史編纂委員会(1985)『河合塾五十年史』学校法人河合塾.
-吉野剛弘(1998).「近代日本における予備校の歴史」, 慶應義塾大学大学院社会学研究科編『慶應義塾大学大学院社会学研究科紀要』第48号, pp.23-32, 1998, 慶應義塾大学大学院社会学研究科.
-三上敦史(2010).「受験情報誌『栄冠をめざして』の研究―1966〜83年の河合塾が高等学校に伝えた受験情報―」, 教育科学編『愛知教育大学研究報告』 (59), pp.113-122, 2010-03, 愛知教育大学.
-三上敦史(2012).「「学力コンクール」の時代(1946−70)一大学入試の模擬試験を実施した学生団体の歴史一」, 『日本の教育史学』, 55 (0), pp.58-71, 2012, 教育史学会.
-三上敦史(2013).「河合塾による「全統模試」の創設―模試を通した新しい情報戦略の展開―」, 教育科学編『愛知教育大学研究報告』 (62), pp.131-137, 2013-03-01, 愛知教育大学.
-三上敦史(2014).「河合塾の東京進出―「東大入試オープン」と駒場校の創設―」, 教育科学編『北海道教育大学紀要』64(2), 2014-02, 北海道教育大学.