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根岸世雄(ねぎし ときお)は、数学者(?)。元駿台予備学校講師。元東京薬科大学薬学部教授。 *経歴 [#k62aff6d] -1929年1月20日生まれ。 -東京都出身。 -東京大学理学部物理学科卒業。 -東京大学大学院修了。 -元 千代田予備校講師。 -元 東京薬科大学薬学部教授。 -2005年1月26日、逝去。 *授業 [#cede0088] -一つの問題に対し様々な別解を示し理路整然と全く疑問点を残さない授業を展開。 -板書は芸術品と周りから評価されるほどの綺麗さであった。 --隙間なく全体として非常にまとまった板書であった。 --化学科の三國均師の板書が似ていた。 --正確な円や楕円をフリーハンドで一瞬で描く。山本義隆師曰く、「コンパスよりも正確な円を描く」と言われていたそうだ。 *担当授業 [#a011f247] **通期 [#i39be1e6] -数学XT§1 --東大理系スーパー [[お茶の水校]]([[3号館]]) 1992年度 --東工大セレクト 新宿校 1993年度 -数学XT§2 --東大理系スーパー、東工大セレクト 新宿校 1992年度 -数学M 午前部理3β [[市谷校舎]] 1988年度 **夏期講習 [#i9bdfe6c] -解法の探究 -数学12の活用ポイント -東大理系数学 *人物 [#h0fea946] -物理学者?。数学者?。?専門は不明。薬科大での情報求む。 -奥井潔師、津野田修吉師、中田義元師と同様、東京大学学生文化指導会~千代田予備校出身。 -津野田修吉師、中田義元師とともに今の駿台数学科を確立した。 -講師用のマニュアル(教授資料)も執筆していた。 -駿台数学科''3N+Y''の一人。 -3N+Yの中では実力No.1とも言われていた。 -%%%3N+Yの中では実力No.1%%%とも言われていた。 -その人気は文理関係なく、幅広いものであった。 -%%講師室で生徒を怒鳴り散らす中田師とは違い、%%温厚な御方で質問対応も良かった。 --根岸世雄師、物理の山本義隆師、化学の三國均師は質問にいきやすかった。 -小林隆章師はかつて根岸師の授業を受けたことがあり、授業スタイルは根岸師を真似ていると述べていた。 -駿台では長年に渡り、講習の「東大理系数学」を担当していた(後任は西岡康夫師)。 -創成期の月刊「大学への数学」(東京出版)にも執筆していた。 -物理学科卒で、中田義元師と共著で物理の参考書を出したこともある。 --『大学への物理』(研文社、1955.2(2版)) -ある日、お茶の水から池袋へ向かう送迎の車が首都高の渋滞にはまって午後の授業に間に合いそうにないという時に、「根岸先生」は少しも慌てることなく「大丈夫ですよ。私が行かないかぎり授業は始まりませんから」と言って泰然(たいぜん)としておられたのはさすがだと思ったよ。(飯田康夫師) -京都大学と一橋大学以外の文系で「確率・統計」(当時の科目名)((1982年度版学習指導要領(第一次「ゆとりカリキュラム」)))が入試範囲外だった1988年当時、文系クラスの確率の講義の受講者が一人だったことがある。 根岸師:君一人? 生徒:はい、一人ですいません。 //↑1988年度1号館文1β? *発言集 [#mc9fdad3] -「経験によると、答えは多分この辺なんだろうな、と」 -「なんちゃって」 *著書 [#w545c973] **学習参考書 [#ia7be4ac] -『大学への数学シリーズ』(中田義元・根岸世雄・藤田宏 共著 研文社〜研文書院) --途中から執筆参加。 -『大学への物理』(中田義元・根岸世雄 共著 研文社、195?年)1955.2 2版 -『新数学問題の解法 360゜ 1 写像と軌跡(駿台受験叢書)』(駿台文庫) -『新・受験数学勉強法 (ブルーバックス (B‐488))』(講談社) #br