山本義隆 の変更点

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山本 義隆(やまもと よしたか、1941年(昭和16年)12月12日 - )は、日本の科学史家・自然哲学者・教育者。元学生運動家。駿台予備学校物理科講師。


*経歴 [#iff94980]
-1941年12月12日生まれ。
-大阪府出身。
-大阪市立船場中学校卒業。
-大阪府立大手前高等学校卒業。
-1964年、東京大学理学部物理学科卒業。
-東京大学大学院博士課程中退。
--専攻は素粒子論。
--京都大学基礎物理学研究所に国内留学。
*授業 [#n99330d3]
-科学史の話などを交え、微積分を駆使するまさに駿台らしいアカデミックでハイレベルな講義で、長年の間、特に東大や東工大など最難関大受験生を魅了しつづけている。
--授業時に法則などで人名が出てきた際その人について掘り下げて色々なことを話してくださったりする(例えばフックの法則に際し彼の様々な功績を紹介した時には、その翌週に一つの例としてフックのノミのスケッチをプリントで配布されることもあった)。
--複雑な物理の概念を磨き抜かれた平易な言葉で解説することにかけて、師の右に出るものはいない。その希有な能力は授業はもちろんのこと「[[新・物理入門]]」等の著書に惜しみなく注ぎ込まれている。

-板書は丁寧に書いてくれる。
--古くから教鞭をとっておりなんとなく白チョーク一本のシンプルな板書と思われるかもしれないが、意外にも数色のチョークを使いカラフルな板書をなさる。
--基本的に解説パートと解答パートに分けて板書なさる。色チョークを使ったり丁寧になさる。
---人によっては、数理処理の部分や問題の解答では板書の日本語が少々ぶっきらぼうだと感じる点もあるかもしれないが、簡潔で良いと感じる生徒もいる。いずれにせよ口頭では丁寧に解説してくださるので、適宜メモを取るとよい。
--また字が独特で、特にvとVが判別しづらかったり、“=”が“–”にみえたり、“v1”が“u”に見えたりもするが、あとで質問にいけば教えてくれる。(新物理入門問題演習の記述演習の模範回答は非常に綺麗だが代筆してある物のようだ)
--ただ、加齢によるせいもあるのだが、板書ミスや作成担当をしている教材の校正ミスが多い(ただ、大体はその場で訂正される)。 最前列の人は、気付いたら遠慮なく言ってあげよう。 師も「最近の学生は冷たい。」と嘆いている。
--ちなみに、折れて落ちたチョークは度々踏まれ粉砕されている。また、落とした黒板消しは(必要がない限り)拾わない。

-物理は数学ではなく自然科学であることを念頭に置いて、物理的な現象の見方を身に付けるための授業を展開する。
--師曰く「ニュートンの法則なんか証明できない。どこから来たのかというとニュートンの頭の中から出てきた。天才の霊感というほかはない。」
--「こんな説明すると、[[長岡君>長岡亮介]]から、またええ加減な数学教えてと言われるかもしれないけど、物理は数学ほど厳密でなくていい。」というスタンスであった。
--数式や公式は物理の道具でしかなく、本質はbehavior(物理的なもののふるまい)を正しく考察することだと説く。
--問題を解いたときには答えがbehaviorに合致するか吟味することを強調する。
---この際、公式的にしか分かっていない生徒が陥りがちな誤りなどを例にあげることがある。この例が大変身近でありながら本質を説く現象ばかりで、非常に秀逸。
--記述式の試験では上記のような物理的な理解が問われているため、師の教える考え方を身に付ければ難しい問題でも合格点をとることができる。
---「記述式っていうのんは、答えがあってなくても考え方が合ってれば点をあげますよ~ってことなんだよ?」

-物理に道具として使う数学のことを「算数」と呼ぶことがある。フーリエ展開など高級なものであっても「大人の算数」とおっしゃる。これは物理において使われる限りはあくまで計算手段だという意図であろう。
--ちなみに森下師は物理こそが本来の科学としての数学で純粋数学は傍流だと批判することがあるが、これも根底には科学は自然ありきの学問だという同じような思想があるからだろう。森下師と同じく物性物理専攻の小倉師もこの考え方に近い。
--なお、坂間勇師のように物理の中でも理論よりの分野を専門にする講師は、数学的な見方を重視するなど若干姿勢が異なる。


-ごくまれに、時間に余裕がある時、雑談をすることもあった。
--師が大学生だったころの話をすることもあり、雑談の中でビックネームが出てくることもある。
---「小柴先生がさ~、知ってるでしょ、あのノーベル賞取った小柴先生、あの人が海外出張から帰ってきた最初の授業で・・・」


-「[[物理S]] Part1」の幾何光学における解説で師の描く金魚の絵はある種のイベントになりつつある。
--毎年、一度しか見ることができないので写真を撮る者も([[三宅唯]]師や果てには教職員もこぞって撮りに来るほどである)。
*担当講座 [#n99330d4]

 駿台初期には数学も教えていたらしい。

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''通期''
-[[物理S]] Part1([[2号館]]-SE)
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-2018年度の夏期講習の途中で体調を崩され、夏期講習や以後全ての授業において、代講を出すこととなった。山本師には体調に気を付けて、末永く教壇に立っていただきたい限りである。
--『[[東大物理>東大物理/夏期講習]]』は、2日目・3日目は佐々木直哉師(普段は東大物理を持たない)、4日目は森下寛之師が急遽代講を担当。
--お茶の水校の『[[物理α「最新入試!」>物理α「最新入試!」/夏期講習]]』は、3日目は近藤正士師、残り3日間は田沼貴雄師が急遽代講を担当。両師ともに、普段はこの講座を担当しない。
--冬期講習の『物理α』は田沼師・成島師が担当し、教材は2017年度冬期講習の教材と同内容のものを使用することになった。
--通期で担当する計3クラスも講師変更となった。
全て後任は森下師。
-森下師によると、同年9月7日に退院されたとのこと。元通りに体調が戻ってきているとのことだが、ぜひ無理をなさらないでほしい。
--春期講習・夏期講習への出講もなくなった。師が監修していた力学と数学、物理α「最新入試!」は廃講となった。
-2018年度まで季節講習も担当していたが、体調を崩されたことを契機に通期のみとなった。
-2019年度高卒クラスパンフレットに、名前と顔写真・メッセージが例年通り掲載されていることが確認された。
--ただし、3号館SAへの出講はなくなった。
-2020年度と2021年度は2号館のみに出講。
-2022年度をもって引退予定。
--授業内にて、師からその旨の発言があった。体調不良が理由とのこと。

**通期 [#uf6a09d2]

 例年、お茶の水3号館東大理系コースと市谷校舎医系コースに出講していた。

 かつては京都校・大阪校にもレギュラー(通期)で出講していた。
-教材不明 1977?年度
--海外出張した大槻義彦師の代講。
-教材不明 午前部特理コース 四谷校 1980年度

-物理AⅠ
--お茶の水[[本部校舎>3号館]]・午前部理1(C組・D組) 1984,1986年度
---A組・B組は坂間勇師。
--お茶の水3号館・午前部理1α(C組・D組) 1988年度
---A組・B組は坂間勇師。物理AⅡは坂間勇師。
--お茶の水校・難関国公立理系セレクトコース下位クラス 1992年度頃まで
---年度によっては谷藤祐師が担当。
---上位クラスは坂間勇師。
--お茶の水4号館 難関国公立大セレクトコース C組・D組 1992年度
---A組は坂間勇師、B組は谷藤祐師担当。
--大阪校 理科特類? 1987年度

-物理AⅡ
--お茶の水[[本部校舎>3号館]]・午前部理1(A組・B組) 1986年度
---急逝した井上望師の代講。C・D組は坂間勇師。
--お茶の水4号館 難関国公立大セレクトコース A組・B組 1992年度
---下位クラス(C組・D組)は、谷藤祐師担当

-物理S-Ⅰ
--お茶の水3号館 [[東大理系スーパー>スーパー東大理系]] 下位2クラス
---上位クラスは坂間勇師(1998年度頃まで)。
--新宿校 [[東工大セレクト>スーパー東工大]] 1993年度
---SⅡは、師啓二師
-物理S-Ⅱ
--市谷校舎 [[医系スーパー>スーパー国公立大医系α]] 下位2クラス 
---上位クラスは坂間勇師(1998年度頃まで)。

-[[物理S]]Part1
 [[物理S]]Part1の幾何光学における解説で師の描く金魚の絵はある種のイベントになりつつある。毎年一度しか見ることができないので写真を撮る者も([[三宅唯]]師や果てには教職員もこぞって撮りに来るほど)。
--お茶の水[[3号館]] スーパー東大理系 SA  - 2018年度前期
---2018年度後期の代講は森下寛之師。
--お茶の水[[2号館]] スーパー京大理系 SE お茶の水[[2号館]] - 2019年度
---2018年度後期の代講は森下寛之師。
--千葉校 スーパー東大理系/スーパー京大理系/スーパー国公立大医系 SA  - 2018年度前期
---2018年度後期の代講は森下寛之師。

-[[物理S]]Part2 ?
**講習 [#yf39161d]
***春期講習 [#ta9efed9]
-物理入門(春期講習)お茶の水校 - 1993年度

-物理基礎(春期講習)お茶の水校  1994年度

-ハイレベル物理(春期講習)お茶の水校 2000年度

-力学と数学(春期講習) - 2018年度
***夏期講習 [#jd3b5d2f]
-物理(夏期講習)
--お茶の水校     ~2000年度
--福岡特設会場 1987年度
--千葉校       ~2000年度
---千葉校の夏期講習、冬期講習の「物理」は、1993年度は常盤雪夫師、その後は高橋和浩師が担当していて、90年代半ば頃から山本義隆師が担当するようになった。

-物理基本演習(夏期講習)
--お茶の水校
---山本義隆師が教材を編集していた。坂間勇師が教材を編集した「物理」よりもレベルは下になっていたが、難関大でも対応できる問題(物理学の基本であって、問題自体は簡単ではなかった)が載っていた。

-物理総合研究(夏期講習)

-[[物理α「最新入試!」>物理α「最新入試!」/夏期講習]](夏期講習) - 2018年度
--[[お茶の水校]]、[[千葉校]]
--2018年度は体調不良に伴い、お茶の水校実施分が田沼貴雄師(1,2,4日目)、近藤正士師(3日目)による代講となった。

-[[東大物理>東大物理/夏期講習]](夏期講習)
--坂間勇師の後任。

***冬期講習 [#ha973b0a]
-物理
--お茶の水校    ~2000年
--千葉校   1996年~2000年
-医系物理(冬期講習)
--お茶の水校    ~1996年
--山本義隆師編集。坂間勇師が編集していた冬期講習「物理」に対しての講座であって、別に医学部に特化したものではなかった。
--後任(1990年代後半頃から)は森下寛之師。1996年度の市谷校舎の冬期講習の医系物理も森下寛之師担当。
-物理総合実力完成(冬期講習)
-[[物理α「最新入試!」>物理α「最新入試!」/冬期講習]](冬期講習) - 2017年度
-東大物理(冬期講習)
--坂間勇師の後任。
--お茶の水校 2015年度(森下寛之師の代講)

***直前講習 [#gab28053]
-東大物理(直前講習)
--1992年度まで、京都校、大阪校の直前講習会の東大物理を担当していた。
**特設単科講座 [#f8757a22]
-物理コース 1984年度
-物理・山本講座 お茶の水校 1992年度頃まで
**衛星単科(駿台サテネット21) [#q222f625]
-物理 基礎から完成まで 1995年度
-楽しくて面白くて、役に立つ物理 1996年度
**高校生クラス [#g2836bdb]
-[[高3ハイレベル物理>高3スーパー物理]]
--お茶の水校 木曜日17:30-20:20 1990年代末期
---土曜日17:30-20:20は[[漆原晃]]師→[[高橋法彦]]師、「[[高3スーパー物理>高3スーパー物理α]]」は[[坂間勇]]師、「高3(要点)物理」(土曜日17:30-20:20)は[[常盤雪夫]]師が担当していた。
*人物 [#c314f4e5]
-物理学者(素粒子論)。科学史家。科学哲学者。%%革命家%%。
-予備校講師としては、駿台物理科の象徴で権威的存在。
-いわゆる駿台物理科の重鎮にしてレジェンド。まさに生ける伝説である。
--駿台において師の名前を知らない者はほぼいないだろう。
--師の授業を受けた生徒は、自然と尊敬の念を師に抱いてしまう。そんな人物である。
--かつて、物理科東西合同教授会で揉めた時、師の鶴の一声で争い?が治まったことがある(森下寛之師の項参照)。

-故[[坂間勇]]師らと共に現在の駿台物理科の礎を築いた人物であり、受験業界の顔とも言える。
--両雄並び称されていた両師ではあるが、山本師の駿台採用の際の面接官が坂間師で、山本師は''坂間師が何を言っているのかわからなかった''らしい。
--共著である『必修物理』執筆の際も衝突があったらしく、「『必修物理』とか言う訳のわからん本を書いた時も……。''あの人の美学はようわからん''。」と講義中にこぼされていた。
--白衣を着て教壇に上がる坂間師を山本師が「理論屋の癖に」と揶揄することもあったという。

-[[鹿野俊之]]師や[[星本悦司]]師、三宅唯師など、現在駿台で教鞭をとる[[講師陣]]が浪人時代から教鞭を執っているので、現在の駿台は親子三世代同居状態にある。
--三宅唯師に至っては、教授会の時に山本師のサイン会を開くべきだと主張するくらい心酔している。
--元関西物理科No.2の[[中田俊司>駿台大阪校wiki:中田俊司]]師が尊敬する存在である。
論述問題についても「山本さんの文章は本当に素晴らしい。」と言い、絶賛している
--%%同じスーパー京大理系コースのSEクラスを持っている%%現代文科の二戸宏羲師も「あのひとほんとにいい文章書くんだよ。」とおっしゃる。
--師への賛辞は物理科どころか理系に留まらない。山口紹師、秋本吉徳師、久山道彦師、二戸宏羲師、佐山竹彦師、田部圭史郎師、沼尻正師など数多くの文系教科の講師にも影響を与えている。

-若き日に[[大槻義彦]]師の代講をしたことがあり、その時の受講生の中に後のSEG講師の小島寛之先生がいた。
--その時、山本師は講義前に廊下で煙草を吸っていて、小島先生には多浪生と思われていた。

-ベテラン講師の大島師、[[山口紹]]師を呼び捨てで呼べる数少ない講師である。また両師とも山本師を賞賛している。
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-元''東大闘争全学共闘会議(全共闘)議長''としても著名である。
--日大全共闘議長の秋田明大氏とともに、全共闘の象徴的存在であった。
--Wikipediaにしっかりとした記事が書いてあるほど、世間でもよく知られている。
--実際は、党派別の内紛で、「政治オンチ」で党派色のない師が「消去法で議長にさせられた」。((「東京新聞・こちら特報部」2014年10月13日))
--全共闘議長としての山本師については右記のページを参照のこと→[[wikipediaの山本師のページ>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E7%BE%A9%E9%9A%86]]
---山本師が湯川秀樹の弟子であったというような話はメディアによってつくられた虚像であると師ご自身が著作に書いてある。(実際は一年間程、京大の湯川秀樹教授の研究室にいただけらしい)((「私の1960年代」より。また大学での講演会でも明言されている。))山本師のページを編集しようとする人に注意を促したい。
---師が若い頃学生運動に携わったことなどが原因となり駿台に来たという話は禁句なのかと思いきや、かなり色々な先生が頻繁に話題にする。
---駿台の日本史のテキストには(たとえセンター向けでも)、確実に試験にはでないが氏の名前はしっかりと書かれている。そして大概講師はそのことに触れる。%%(興味がある人は、日本史の授業(特に戦後)にもぐるといい。信者の田部氏は確実。)%%
--師が若い頃学生運動に携わったことなどが原因となり駿台に来たという話は禁句なのかと思いきや、かなり色々な先生が頻繁に話題にする。
--駿台の日本史のテキストには(たとえセンター向けでも)、確実に試験にはでないが氏の名前はしっかりと書かれている。そして大概講師はそのことに触れる。%%(興味がある人は、日本史の授業(特に戦後)にもぐるといい。信者の田部氏は確実。)%%
//--余談だが、師の全共闘議長時代に引き起こした東大安田講堂事件が原因で1969年の東大入試が無くなり、東大志望者が京大を受けることになったが、そのときに当時の駿台生が京大の入試に対応できなかったことから、駿台経営側も京大に対応できるようにと関西進出を決め、関西初の駿台予備学校である[[京都校>駿台大阪校wiki:京都校]]が設立された、というエピソードもある。
//山本師が事件を引き起こしたかのような記述は不適切。
//当時はまだ駿台予備学校京都校という名称ではないから不適切。
-師が議長を務めていた東大全共闘が引き起こした''東大安田講堂事件''が原因で、1969年の東大入試がなくなり、東大志望者の多くが京大を受けることになった。
--その時に当時の駿台生が京大の入試に対応できなかったことから、駿台経営側も京大に対応できるようにと関西進出を決め、関西初の駿台(姉妹校)である[[京都駿台予備校>駿台大阪校wiki:京都校]]が設立された、という俗説もある。
--東大入試を中止に追い込み一学年丸々東大生を消し去った中心人物(?)である師が長年、東大コースを持っていたことはある意味では皮肉なのかもしれない(?)。
--ただし、''師自身は1969年1月の東大安田講堂攻防戦前に警察の指名手配を受け地下に潜伏している。''
--駿台大阪校wikiの「入試中止は東大安田講堂事件のためで、当事件の主犯格である全共闘の議長は関東物理科の大御所山本義隆先生である。」という記述は、安田講堂事件の主犯格が山本先生のような誤解を与えやすく、極めて不適切である。
--師が東大・落城時に「我々は 東大生であることを 永遠に 拒否する!」と叫んだというのはガセネタである。
-奥井潔師が当時、東大文学部長で山本師に捕らえられたというのはガセネタである(当時の文学部長は林健太郎氏)。
-お茶の水3号館講師室で学生に扮した某出版社の記者に東大闘争のことを聞かれ、馬鹿デカイ声で「出ていけ」と怒鳴りつけ、力ずくで追い出してたこともあった。東大闘争は師の中では「脛のキズ(失敗に終わったため)」になっている様子であるため、このネタはご法度である。絶対にこの話をしないこと。
--最近は講演で語ることもある。

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-日本を代表する評論家・科学史家でもある。
--主に物理に関わる科学史の著作・翻訳を岩波書店やみすず書房など権威ある出版社から多数上梓している。執筆した分野は解析力学、熱力学、天文学、原子物理学と多岐にわたる。
---特に『磁力と重力の発見』は第30回大佛次郎賞、第1回パピルス賞、第57回毎日出版文化賞を受賞しており、新聞などの書評でも盛んに論じられた。
---2017年現在、日本数学協会の機関誌『数学文化』において「小数と対数の発見」という連載を持っている。師の研究はとうとう数学にも及んだ訳である。
--大学生向けの参考書も手がけており、ものによっては大学院生レベルでなんとか読めるというとんでもない難易度である。
--秋本吉徳師曰く最近は明月記の記述から過去の超新星大爆発を研究していたりするとか。
--英作文科の重鎮である山口紹師はベトナムで公演をするためにスピーチ分を英訳してくれと頼まれたそう。「まあ引き受けましたよ。あの人にはいくか感謝しても感謝しきれないことがありますからね」
--2018年度第一回東大入試実戦模試、国語第一問の''筆者''である。
---出題されたのは同年1月に出版された『近代日本一五〇年』。
解答解説の筆者紹介では、大学院中退の科学史家となっており、在学中のことや駿台物理科の講師である旨は書かれていなかった。
---理系の物理選択者にしてみると二教科に師が絡んでいることに。
---「普通あんなの出します?畏れ多すぎますよ」(内野師談)
//---2020年、上智大学外国語学部英語学科、国語の❶(現代文)には師の著書の『重力と力学的世界』が出典された。
//「出典された」などという日本語はあるのか?
-2020年2月6日実施の上智大学外国語学部英語学科の国語①(現代文)の試験において師の著作「重力と力学的世界」からの抜粋文章が出題された。
-師が、東大闘争全学共闘会議代表だった折に1960年代後半の紛争時に廃棄されていた文書を保存、編集のうえ東京大学文書館に寄贈した、昭和19~20年に於ける東京帝国大学農学部保存の学徒動員に関するまとまった史料群が、『東京帝国大学農学部 学徒動員関係史料』(全4巻)として、2019年10月より配本刊行中である。
--西山伸京都大学教授とともに解説も担当している。

#br
-その著者「[[新・物理入門]]」は受講者必携の名著。
--駿台生の物理の教科書と言ってもいい。まるで師が紙面から語りかけて来るようで、授業の理解が増す。

-関西人。適度な大阪訛がとても心地よい。
--関西出身なためか、阪神タイガースの大ファン(小林俊昭師談)。
--共にSEクラスをもっている秋本吉徳氏曰く、同じ関西人ということで授業進行表なるものに阪神の試合結果を書きあっているらしい。
--受験生への激励の色紙に「阪神頑張れ」と書いて教務から書き直してくださいと懇願されたとか(大島師談)。
--出身である大手前高校には、新物理入門、新物理入門問題演習の2冊ずつを、70期生の3年時に理系6クラスに1セットずつ寄贈された事があった。
-ファッションは一貫されているようで、毎週常に色のこけたデニムシャツに年季のある革ベルト、履き潰されたジーンズにレッドウィングのブーツという出で立ちである。遠目でも一目でわかる。
--師の影響は服装にまで及ぶのか、物理科の講師の多くが同じくジーンズにタックアウトしたワイシャツという出で立ちである。
-頭脳明晰だが、偉ぶらずとても優しい人格者である。(駿台一の天才とも)
-全共闘をしていなければ、ノーベル賞をとれただろうと周りからも言われたほど。(師は否定している)

-全共闘をしていなければ、ノーベル賞をとれただろうと周りからも言われたほど(師自身は否定している)。
--山本師が湯川秀樹の弟子であったというような話はメディアによってつくられた虚像であると師ご自身が著作に書いてある。(実際は一年間程、京大の湯川秀樹教授の研究室にいただけらしい)((「私の1960年代」より。また大学での講演会でも明言されている。))山本師のページを編集しようとする人に注意を促したい。

-伝説の全共闘議長なので初めは恐れおののく学生もいるが、学生には基本的に優しい。
--意外にも遅刻には比較的寛容。他の生徒に迷惑をかけないように、とのことで、講習などで遅刻しても外で待たずに後ろの方で空いてる席にそっと座ればよいとおっしゃる。
---「遅刻するな!なんて自分の学生時代を思うと到底言えたものじゃない」
--とはいうものの「遅刻は時間の損をする」とも。「自分が君らくらいの時、40歳や50歳になるとは思っていなかったからね。なるからね。30過ぎたらあっという間よ」
「こんなとこ(予備校)居住環境悪いので何年もいるところじゃない。」とも。
-ただ、あまり低レベルな質問はするべきではない。
--怒られたりはしないが、どんな質問人気でも親身になって答えてくれるというタイプでもない。
---生徒が自分で考えた方が生徒自身のためになるようことを質問した際には、わざと答えず、生徒が自分で考えるよう促してくださっているようにも思われる。
--講習の時は質問に関して「一晩考えて疑問点を明確にしてから来て欲しい」との発言を繰り返される。
--本人いわく「本来もっともよい授業は、生徒にやれっと言うだけで教えないことだ」とのこと。 自分でよく考えるのが大事だ、ということだろう。
--発想は大切にしてくれるが、根拠もない勝手な公式を作って「こういった式はないのですか?」と質問すると次の授業で「こういった根拠のない式を勝手に作らないように。」と公開処刑されることがある。師は公式を丸暗記する姿勢よりも公式が成立する根拠を重視するので、質問をするときは公式を考えた理由もきちんと用意すること。
-レギュラーの連続講義で、延長した講義の次の講義も始業時間キッチリに教室に現れたため休み時間が極端に短くなり、学生たちが慌てて教室に戻るのを見て、「もう少しゆっくり来ればよかったな。でも、始業ベルが鳴ったのに講師室にいるのは居心地悪いんよ。[[長岡(亮)>長岡亮介]]は堂々と残っとるけど。」とおっしゃっていた。
-故立花隆氏の記事に、山本義隆師の両親、中高の友人にインタビューしてるものがあり、高校時代に山岳部に所属していた山本師は一年間の土日のほとんどは山に行っていた。ただ、どうしても山に行けない時は大阪城の石垣でロッククライミングの練習をしていた、とある。
-師は最近、物理学の原書を読むためにラテン語の勉強を始めたらしい(武富師談)。
-大学に入学したら『ファインマン物理学』は原書で読んでほしいとおっしゃっていた。
--また、大学入学するまでに1冊は洋書を読んでおくと、英語に対する億劫感がなくなるともおっしゃっていた。
-意外にも受験生時代は化学が苦手だったそうで、有機分野は暗記でかろうじて乗り切ったらしい。
-かつて、パンフレットには世界史の大岡俊明師、古文科の秋本吉徳師とともに、長い間、顔写真を載せておらず、知名度の割に謎の存在だった。
--今では高卒生用の入学パンフレットに載っている。
-1992年度までパンフレットに写真を掲載していなかった。
-最終講では多くの人が師のサインをもらいに行くため、昼休みが全部列に並んだことで、つぶれることもある。それほどまでも多くのひとから尊敬される素晴らしい人物である。

-「君達が今やっている数学や物理なんてのは、言っちゃ悪いがお子様ランチみたいなもん。ある程度の点数が取れるようになったら、英語をやりなさい。その方が将来必ず役に立つから。」
--師曰く、英語の勉強はどれだけやっても終わりはなく、また30歳までに身につけた言語は必ず一生身に残るとのこと。
*参考文献 [#x7c459e9]
-山本義隆(2017)「駿台百年そして在職四〇年」, 『駿台教育フォーラム』第31号, pp.?-?, 2017-08, 駿台教育研究所.
*著書 [#q1cc6453]
 著作を持って講師室に行くと「僕は字が汚いんだよ」と言いながらサインをしてくれる。
もちろん駿台生の必需品『新・物理入門』でも問題ない。
 Wikipediaでは「駿台の過去問題集「青本」では、東大の物理の入試問題について25年以上解説を書いた。」と記述されているが、坂間勇師との混同であろう。
**学習参考書 [#ef672a7d]
-『駿台高等予備校副読本 大学入試 必修物理(駿台受験叢書)』上・下(坂間勇・谷藤祐・山本義隆 共著 駿台文庫、1979年6月〜1980年2月 絶版)
--坂間勇師、谷藤祐師との共著。
--早稲田大学の推薦図書だった。


-『大学受験必修 物理入門〈駿台受験叢書〉』(駿台文庫、1987年8月)ISBN 4-88076-242-3
-『新・物理入門〈物理IB・II〉〈駿台受験シリーズ〉』(駿台文庫、1987年7月)ISBN 4-7961-1608-7
-『新・物理入門(増補改訂版)〈駿台受験シリーズ〉』(駿台文庫、2004年6月)ISBN 4-7961-1618-4

-『新・物理入門問題演習〈物理IB・II〉〈駿台受験シリーズ〉』(駿台文庫、1997年4月)ISBN 4-7961-1609-5
-『新・物理入門問題演習(改訂版)〈駿台受験シリーズ〉』(駿台文庫、2005年11月。ISBN 4-7961-1621-4
**一般書 [#d718ba8f]
//一般書と専門書に分けるべきでは?
-『知性の叛乱 東大解体まで』前衛社(出版) 神無書房(発売)、1969年。
-東大全学助手共闘会議 編 『東大全共闘 われわれにとって東大闘争とは何か』渡辺眸撮影、三一書房、1969年。
-『福島の原発事故をめぐって いくつか学び考えたこと』みすず書房、2011年8月25日。ISBN 978-4-622-07644-5。
-『私の1960年代』金曜日、2015年。ISBN 978-4-86572-004-4。
-『近代日本一五〇年 -科学技術総力戦体制の破綻-』岩波書店、2018年。ISBN 978-4-00431-6954。
-『リニア中央新幹線をめぐって 原発事故とコロナ・パンデミックから見直す』みすず書房、2021年4月。ISBN 978-4-622-08996-4。
**専門書 [#tad80ed9]
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-『重力と力学的世界―古典としての古典力学』(現代数学社、1981年1月1日)1981年10月。ISBN 4-7687-0108-6。
-『重力と力学的世界―古典としての古典力学(ちくま学芸文庫)』上・下(筑摩書房、2021年2月10日〜3月12日)
江沢洋、中村孔一 共著 『演習詳解 力学』東京図書、1984年4月。ISBN 4-489-00094-4。
江沢洋、中村孔一 共著 『演習詳解 力学』(第2版)日本評論社、2011年7月。ISBN 978-4-535-78564-9。 - 初版:東京図書1984年刊。
-『熱学思想の史的展開 熱とエントロピー』(現代数学社、1987年2月)ISBN 4-7687-0301-1
『熱学思想の史的展開 熱とエントロピー 1』筑摩書房〈ちくま学芸文庫[Math & science]〉、2008年12月10日。ISBN 978-4-480-09181-9。 - 現代数学社1987年刊の改稿。
『熱学思想の史的展開 熱とエントロピー 2』筑摩書房〈ちくま学芸文庫[Math & science]〉、2009年1月7日。ISBN 978-4-480-09182-6。 - 現代数学社1987年刊の改稿。
『熱学思想の史的展開 熱とエントロピー 3』筑摩書房〈ちくま学芸文庫[Math & science]〉、2009年2月10日。ISBN 978-4-480-09183-3。 - 現代数学社1987年刊の改稿。
-『古典力学の形成 ニュートンからラグランジュへ』(日本評論社、1997年6月)ISBN 4-535-78243-1。
中村孔一共著 『解析力学1』朝倉書店〈朝倉物理学大系1〉、1998年9月。ISBN 4-254-13671-4。
中村孔一共著 『解析力学2』朝倉書店〈朝倉物理学大系2〉、1998年9月。ISBN 4-254-13672-2。
『磁力と重力の発見1 古代・中世』みすず書房、2003年5月22日。ISBN 4-622-08031-1。
『磁力と重力の発見2 ルネサンス』みすず書房、2003年5月22日。ISBN 4-622-08032-X。
『磁力と重力の発見3 近代の始まり』みすず書房、2003年5月22日。ISBN 4-622-08033-8。
『一六世紀文化革命1』みすず書房、2007年4月16日。ISBN 978-4-622-07286-7。
『一六世紀文化革命2』みすず書房、2007年4月16日。ISBN 978-4-622-07287-4。
『力学と微分方程式』数学書房〈数学書房選書 1〉、2008年10月。ISBN 978-4-903342-21-4。
『世界の見方の転換1 天文学の復興と天地学の提唱』みすず書房、2014年3月20日。ISBN 978-4-622-07804-3。
『世界の見方の転換2 地動説の提唱と宇宙論の相克』みすず書房、2014年3月20日。ISBN 978-4-622-07805-0。
『世界の見方の転換3 世界の一元化と天文学の改革』みすず書房、2014年3月20日。ISBN 978-4-622-07806-7。
『幾何光学の正準理論 [1]』数学書房、2014年9月14日、ISBN 978-4903342771。
『原子・原子核・原子力 -わたしが講義で伝えたかったこと-』岩波書店、2015年3月24日。ISBN 978-4-00-005329-7。
『小数と対数の発見』日本評論社、2018年7月。ISBN 978-4-535-79813-7。
*講演 [#odec65ed]
-2014年10月4日(土)、品川区総合区民会館「きゅりあん」、「10・8山﨑博昭プロジェクト」講演会
--「10.8山﨑博昭プロジェクト ―50周年まであと3年」 ―講演 山本義隆氏(元東大全共闘議長)「私の1960年代―樺美智子・山崎博昭追悼―」
https://iwj.co.jp/wj/open/archives/173590
-2015年11月7日(土)14時、大阪市中央区・御堂会館、「『10.8山崎博昭プロジェクト』大阪講演会
--「10.8山崎博昭プロジェクト」大阪講演会 アカンで、日本!―理工系にとっての戦争― 講師 山本義隆氏、白井聡氏
https://iwj.co.jp/wj/open/archives/274063
*講演 [#odec65ed]

-2014年10月4日(土)、品川区総合区民会館「きゅりあん」、「10・8山﨑博昭プロジェクト」講演会
--「10.8山﨑博昭プロジェクト ―50周年まであと3年」 ―講演 山本義隆氏(元東大全共闘議長)「私の1960年代―樺美智子・山崎博昭追悼―」
https://iwj.co.jp/wj/open/archives/173590

-2015年11月7日(土)14時、大阪市中央区・御堂会館、「『10.8山崎博昭プロジェクト』大阪講演会
--「10.8山崎博昭プロジェクト」大阪講演会 アカンで、日本!―理工系にとっての戦争― 講師 山本義隆氏、白井聡氏
https://iwj.co.jp/wj/open/archives/274063