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増田良繁(ますだ よししげ)は、元都立高校教諭。元駿台予備学校英語科講師。 *経歴 [#q26a1225] -1939年、旧制早稲田大学文学部英文科卒業。 -1946年 - 1978年、都立高校英語科教諭。 --旧制府立十中〜都立西高等学校、東都立新宿高等学校など。 -2011年11月10日、逝去(95歳)。 *授業 [#g5f1cb48] -授業は厳しかったが、人気は高かった。 -英作文の授業を中心に受け持っていた。 *担当授業 [#s9e8eacf] -EXERCISES IN ENGLISH COMPOSITION B-I --午前部文1α・午前部理1α お茶の水校(3号館) 1988年度他 --午前部文1α お茶の水校(3号館) 1988年度他 ---A−Iは倉谷直臣師。 --午前部理1α お茶の水校(3号館) 1988年度他 ---A−Iは高橋善昭師。 --東工大セレクトコース 新宿校 1991年度、1992年度 -和文英訳演習Ⅰ --一橋大セレクトコース お茶の水校(5号館) 1993年度 --一橋大セレクトコース お茶の水校(5号館) 1993年度 *人物 [#h38e1b3c] -都立高校の教諭を定年退職された後、予備校講師に転身して80歳で御引退になるまで教壇に立たれた。 -24歳で入営し 終戦・復員まで中国・ビルマ・インパールの戦場で6年半を過ごした。 --タイ北西部のビルマ国境にある山岳地帯で連合国に日本が無条件降伏したと知り「もう戦争そのものに疲れ果てていた。 戦争はもう沢山 殺し合いももう沢山というのが私の正直な気持ちだった」(自分史『わが追憶の記』(1992年)より) -第二次世界大戦中、インパール作戦でビルマ(現・ミャンマー)に進駐した。 --中尉。第三十三師団(弓)歩兵第二一五連隊(左突進隊)情報主任。 --その際に罹患したマラリアが戦後の数年間は時々再発して高熱に悩まされたものの、その後いつの間にか完治した。 -斎藤資晴師は現役生の時にに増田師の授業を受けて、上智大学で英語を専攻することにした。 --浪人中の伊藤和夫師の影響もあるが、最初は増田師の影響。 --当時のノートを見ても特別なことはやってないが、引き込まれるものがあったそう。