伊藤和夫 の変更点

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伊藤 和夫(いとう かずお)は、元駿台予備学校英語科講師、同主任。学校法人駿河台学園理事。駿河台大学理事、同客員教授。

*経歴 [#k0b67e3e]
-1927年、長野県生まれ。
-1944年、旧制東京府立第五中学校((現・東京都立小石川中等教育学校))卒業。
-1944年、旧制第一高等学校((現・東京大学教養学部前期課程))文科入学。
-1953年、東京大学文学部西洋哲学科卒業。
--卒業論文はスピノザの「エチカ」。
-1954年、横浜山手英学院専任講師(英語科主任教授)。
-1966年4月、駿台高等予備校講師。
-1979年、英語科主任講師。

//以後、専任講師として1995年度まで勤務。英語科主任、学校法人駿河台学園理事などを歴任。
//1996年年明けのアカデミー校での講習が最後?
-1997年1月21日、御茶ノ水の杏雲堂病院で死去。

*授業 [#m9b41a8f]
-実際の授業は淡々とした眠気を誘うものだったという声が多い。
--雑談はほぼ挟まず、抑揚に乏しく終始淡々と授業を進めるので眠気を誘い、また、授業内容も英文解釈教室他の著書と重複することもあり、晩年は後期ともなると教室には空席が目立った。
--良く言えば、授業は一切の無駄がなく洗練されており、師のこだわりが凝縮されていたもので、職人肌で完璧主義を感じさせるものがあった、ともいえる。
-「物言わぬコンマが雄弁に語っているのであります」など、ウトウトしていると聞き逃してしまうようなレトリックやユーモアをサラリと挟んだりもする。

-どのクラス・どの校舎でも、同じタイミングで同じ話しをする、という声もよくきかれる。淡々とした機械的授業ということである。
--なので、その日の進度が終了するとチャイムが鳴る前に授業を終えるが、教室を出るためにドアのノブに手をかけるあたりでチャイムが鳴る、という芸当もできる。
--ただし、クラスによって進度に差が出てしまい、本来のクラスに出席しなさいとおっしゃった年度もある。
--「私にだって感情や好不調の波はあるけれども、それを君たちに見せるのはよくないと考えている」((齋藤孝・安住紳一郎著『話すチカラ』(ダイアモンド社、2020年2月)))

-抑揚のまったくない特徴的な喋り方をする。
--師の存命中は、[[大島師>大島保彦]]がよくまねしていたらしい。
--各クラスに一人は必ず師の物真似が得意な者がいた。「エハァン!」という師の独特な咳払いをいかに上手く適切なところに入れるかが鍵。

-英語の発音は完全な日本人英語であった。師自身も自覚しており生まれた時代が悪かったといったようなことを著書の中で述懐している。
--例えばWhatを「ウォット」、wasを「ウォズ」と発音されていた。
---「ウォット」はイギリス風の発音で、(上手な発音とは言えないかもしれないが)間違っているわけではない。

-授業態度が悪いとかなりきつく怒ることもあったらしい。
-また、思慮の浅い質問を嫌っていた。
--授業で話した内容と同じ内容を質問しようものなら、テキストを投げつけて怒ったあと、ちょっとした皮肉を交えながら対応したそう。
--教師というよりは、生真面目な作家的な印象で、真面目で勘の鋭い生徒を好んでいた。
*担当授業 [#c161c8a6]

 英語教育史においても、貴重な史料となりますので、情報募集しています。

**通期 [#k8e6315d]

 鈴木長十師主任時代は英文法・英作文も担当していた。
 英作文の教材作成、講義も担当していたことがある。((冨田豊(1997).「予備校教師・伊藤和夫氏」, 『現代英語教育』34(2), pp.18-19, 1997-05, 研究社.))

-英語構文演習A
--お茶の水3号館・午前部理1α〜東大理系スーパー
-英語総合問題A-Ⅰ
--お茶の水3号館・午前部文1α〜東大文系スーパー
-英語総合問題B-Ⅰ
--お茶の水3号館・[[午前部私文1>スーパー早慶大文系]] 1988・1989年度
---学生の方が[[アカデミー校]]から3号館に移動して受講。
--お茶の水1号館・[[午前部文2>スーパー一橋大]] 1989年度

-英語長文問題演習A
--お茶の水3号館・東大理系スーパー 1993年度・1995年度(途中まで。代講は鳥飼和光師)
--[[アカデミー校]]・[[早慶大文系スーパー>スーパー早慶大文系]] 1993年度

-英語長文問題演習B
--お茶の水1号館・午前部文1β 1988年度

-CHOICE EXERCISES
--お茶の水[[本部校舎>3号館]]・コース不明 1978年度
---病気療養中の鈴木長十師の代講。
**講習 [#h8f0d265]

***春期講習 [#yec24079]
-入門英解
-英文解釈の整体術(カイロプラクティック)

***夏期講習 [#q56261d3]
-入門英解演習
-中級英解演習
-英文解釈・読みから訳へ
-要旨大意演習
***冬期講習 [#zdca474f]
-中級英解演習
-英文解釈のサミングアップ

***直前講習 [#xe442ce0]
-要旨大意問題演習
-伊藤の英文和訳演習 1995年度

*人物 [#n5c56550]
-歴史に名を残す英語教育者であるが、英文学者でも英語学者でも翻訳家でもない、哲学出身の在野の予備校講師。
-「ザ・受験英語」のような存在で、自分のことを「試験のための英語、受験英語のプロ」として(職人的な)自己規定をして、受験屋に徹した人物である。
-「受験英語の神様」「受験英語界の巨人」「受験英語のキング・カズ」と呼ばれることもある。[要出典]
-長い駿台の歴史の中でも、最も有名な講師の一人である。
--朝日新聞の「おくやみ」欄(著名人が亡くなった際に載る欄)に出たほどである。

-中肉中背で、髪は晩年にいたるまでふさふさで、見た目は%%著書の冷徹さとは裏腹に%%かわいらしく見えないこともない。
--風貌から、黒板消しの掃除職員と間違える生徒もいた。
--ビジュアル英文解釈に掲載されている師の似顔絵は実物とそっくりである。

-予備校教師の仕事は、最初アルバイトと思って始めた。(「英語科 伊藤和夫先生にきく」『駿台予備学校 師たちの回想』平成8年 )
-1954年、横浜山手英学院専任講師(英語科主任教授)。
--学生時代から15年勤務。
-1966年4月、当時、山手英学院に非常勤講師として夏期と冬期の講習に出講していた奥井潔師の仲介で駿台高等予備校へ移籍。
-1979年に駿台英語科の主任講師となり,様々な制度改革を行うことで,カリキュラムや指導方針について主任講師が一元的に指示をする,自身を頂点とする英語科の体制を強固なものにしていった(高橋,1997)。
-主任となる以前から,英語科のテキストの大半を伊藤が執筆し(冨田,1997), またそのテキストほぼ全てに自著ヘの参照ページが付される(伊藤,1997) など,駿台内において多大な影響力を発揮し,自らの英語教育観を駿台における英語指導に反映させていった。

-駿台英語科のみならず駿台の基盤を作った講師である。
--例えば教授資料を作成し全国で一定レベル以上の質の講義を行えるようにしたなど、今なお駿台のシステムとして残っているものも多い。

-駿台内外問わず師を尊敬する講師は多い。
--師を尊敬している講師は大島保彦師、斎藤資晴師、山口紹師、現東進の今井宏氏、現代ゼミの仲本浩喜氏、関西英語科の竹岡広信師、スタディサプリの関正生氏など、枚挙に暇がない。
--%%そして、大島師や斎藤師、山口師、竹岡師は揃いも揃って全員伊藤師をよくネタにする%%
--講師採用試験で、山口紹師の授業が地味だという理由でおとされかけたところを、伊藤和夫師がまったをかけて採用した、といったような噂もある。

-師の提唱した''構文主義''は駿台英語科のみならず受験英語界、ひいては英語教育界にも大きな影響を与えた(後述の「英語教育史における伊藤和夫」参照)。
-最晩年にいたるまで入試英語の変化に敏感で、自身の指導法も絶えずベターな方法を模索していた。
-ある固定された型を作って、一生そのやりかたに固執した人ではなかった。
--長文が出るようになれば長文の対策、要約が出されるのであれば要約の対策というように、出題の内容や傾向にあわせて逐一対応していた。
--受験英語の変化(長文の増加、出題される英文の内容の変化、記述式から客観式への変化など)にも敏感で、最晩年にいたるまで、たとえば長文に対処するにはどうするかなど、変化への対応を真剣に考えていた。決して、練習すればそのうち読むスピードもあがるからなんとかなる、といった類のことは言わなかった。(伊藤,1995)((『大学入試 伊藤和夫の英語学習法(駿台レクチャーシリーズ)』(駿台文庫、1995年)))。
--基礎学力を養うことの重要性は強調しつつも、各大学に特有な出題の形式があればそれに対応する考え方があるといい(伊藤,1986)((『かならずワカる 英語の学習法(駿台ブックス)』(駿台文庫、1986年)))、問題本文を読まずに選択肢のみを読んで解くような方法も必ずしも否定してはいない(伊藤,1995)((『大学入試 伊藤和夫の英語学習法(駿台レクチャーシリーズ)』(駿台文庫、1995年)))。

-自身の英文読解の方法も、よりよくするためにはどうすればよいかを常日頃考えていた。
--そのことは英文解釈教室改訂版の前書きやビジュアル英文解釈の「あとがき」などを読んでもよくわかる。
--英文解釈教室における過度の体系化を反省してうまれたのがビジュアル英文解釈だと述べている。

-和訳に関して、とにかく外来語は何でも日本語に直さなければ模試などでバツにする方針だったと言われていた。
--career womanは「職業婦人」hooligansは「蹴球の試合に現れる愚連隊」open cafeは「お茶を飲む卓が道路に突き出た喫茶店」だったとか。師ご本人はワインは「ぶどう酒」、カメラは「写真機」でも違和感を感じないとおっしゃっていた。パソコンも「個人電算機」だったとか。マウスとかキーボードはどうなってしまうのだろうか。
--久山道彦師が「おじいちゃんたち」といいよくネタにする。
--しかし、これは''有名な今井宏師のネタ''であって実際は外来語を柔軟に使う場面もあった。
--外来語の和訳については英文和訳演習に言及がある。
--福崎伍郎師がサスペンダーをしていた時に、「福崎君、そのズボン吊りは疲れないかね?」と訊いてきて、福崎師は「これはズボン吊りではなくて、サスペンダーって言うんですよ。」と答えると、伊藤師はさらに「では、そのサスペンダーというズボン吊りは疲れないのかね?」と訊いてきたという%%福崎師の鉄板ネタ%%エピソードがある。

//↑有名なエピソードだが、なぜか「疲れない」を勝手に「いい」と改変されていたので訂正。
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-学習参考書も数多く執筆し,ベストセラーも多数出ている。
--とくに,「構文主義」の視点から新たな英文解釈法を打ち出した『英文解釈教室』 (1977) や, 『ビジュアル英文解釈』 (1987, 1988) は数多くの受験生に使用された。また,これらの著作を通じて,伊藤独自の指導法は駿台外の英語講師にも大きな影響を与えた(高橋,1997 ; 入不二,1995)。

//-『基本英文700選』、『英文解釈教室』、『ビジュアル英文解釈』 『新・英文法頻出問題演習』をはじめおびただしい数の英語参考書を執筆し、今でも駿台内外でよく知られている。
//↓各参考書に関する記述はそれぞれの項に書いてください。
//--中でも、『英文解釈教室』は、伊藤和夫の受験英語業界および駿台内における地位を不動のものにしたのはもちろん、東大はじめ難関大志望者向けの予備校として駿台が現在の地位を確立する上でも一定の役割をはたした歴史的著作である。
//--また、「『基本英文700選』を暗記すれば、わからない英文はなくなる」とも1970年代から1980年代の受験界では言われていた。
//--1980年代後半の受験生の姿を描いた『七帝柔道記』には「合格者のほぼ全員が『英文解釈教室』を使っていた」と伊藤和夫の名が実名で登場しており、当時駿台生のみならず広く受験生の間でいかに伊藤が巨大な存在だったかがわかる。
-一方、英作文の参考書を出さなかったのは、「不利な土俵で勝負はしたくないから」らしい。(『竹岡広信の英作文が面白いほど書ける』はしがきより)
--「ネイティブに『こんな表現はない』と言われちゃおしまいだろう?」とのこと。当時若手であった竹岡師は自分の質問に実直に答えてくれた伊藤師にとても感銘を受けたという。
-参考書に関しては、「晩年は筆が荒れて自己模倣だった」という人もいる。[要出典]
-英語教師ではあるが自身は英語を受験科目としては使わなかった。
--伊藤師が受験生だったのは太平洋戦争が最も激しかった時期で、旧制高校の入試史上唯一の受験科目から英語が削除された年であった。受験英語に一生を捧げるようになった師ではあるが、自身は入試科目で英語を受験せずに新制東京大学教養学部の前身校に入学したことになる。

-駿台に仲介した奥井師ら少数の優秀な講師と仲が良かったらしい。信頼できる人にしか心を許さないところがあったそうだ。
--親友の佐久間信師(成城大学教授)が1988年度前期途中に急死してから、ますます孤独の度合いを深めた。
---佐久間師の告別式では伊藤師が弔辞を述べた。
--新宿歌舞伎町の奥の飲み屋に秋山仁師とよく飲みに行ったらしい。
--また、師の授業方針を批判していた[[表三郎>駿台大阪校wiki:表三郎]]師も、伊藤師の実力については認めており、仲も良かった。
---「戦うにも、からかうにも最高の相手」だったそう。友人というよりは、「戦友」という方が正しいか。
-喫煙者であった。質問に行くとまずはタバコをいっぷく吸ってから、「君は授業で何も聴いていなかったのか?」と言いつつも質問に答えていた。
-若き日の竹中太郎師が模試の試作問題をチェックしてもらいにいった際、伊藤師が長文の一行一行を指で滑らかになぞり、瞬時に内容を把握するのを見て驚いたのだとか。「僕の知っている中で一番英語が出来る人だった」と仰っていた。

-喜怒哀楽が激しかった。
--駿台文庫編集部が「英単語集を出したい」と言うと、「君たち、いったい何を考えているんだ」とテーブルをたたいて怒られた。((1997年5月26日産経新聞朝刊「受験のカリスマ」5))
--酒を飲んでご機嫌だと箸で茶碗を叩き喜ぶが、会議などで機嫌が悪くボルテージが上がると机をドンドン叩いて怒る。

-派手なことは嫌いだが、子供っぽいところ(純真)があった。

-酒癖が悪かった。
--楽しいはずの酒宴の席で、職員達にしつこく理不尽な説教を続けて、前述の親友の佐久間信師にヘッドロックを食らい、涙目になったことがある。
--斎藤資晴師は、「大学時代には尊敬していた先生が、いざ同僚になってみたらまさかあんなに酒癖の悪いじじいだったなんて思いもしなかったよ。」と回想していた。
---会議中に酔い潰れた伊藤師から説教を受けた際、大島師と名前を間違えられたそう。「俺、大島じゃねぇし!」

-サインを求めた学生には、「僕はサインをするほどの人物じゃないから握手をしよう」とおっしゃっていた。
--それを見て格好いいと思った仲本浩喜師が女子学生に「サインじゃなくて握手しよう」と言ったら「あっ大丈夫です」と言われたらしい。(仲本師ツイッターより)
-伊藤和夫師の寄付を元にした「伊藤・有馬記念基金」が設立されており、日本赤十字看護大学の看護学生へ奨学金が支給されている。
--生前の分を含めると寄付額はおよそ7億円にも及ぶという。
--学生から預かったお金なのだから学生にお返ししたい、という思いがあった。
-旺文社「大学受験ラジオ講座」も担当しており、担当講座は後にテープ教材や参考書にまとめられた。
--参考書は最近、復刊された。
--「しがらみで仕方なく」と担当することにあまり乗り気でなかったよう。
-「マイク伊藤」の名で戦後、進駐軍でサックスを吹いていたというのは、『受験参考書の愉楽』(創林社)に書かれていたパロディーである(本の中では「伊藤''一''夫」と書かれていた)。
-最後の授業となる1995年度直前講習「伊藤の英文和訳演習」が2講座増設されるなど最後の最後まで人気があった。
-今でも、Twitterの英語教育者の間で密かに「#伊藤和夫を読む会」というタグが使われている。
-山口紹師曰く、意図せずかしてかは不明だが、伊藤師の後継者は三師いるそうで、アカデミック的な後継者は大島保彦師、個人的な関わりを含む生き方の後継者は斎藤資晴師、英語の後継者は山口紹師だそう。確かにこのページを読むと分かるような気がする。
-英文の一字一句を過度に「意識化」して、教授法の「幼稚化」を行なった後継者は薬袋善郎師と代々木ゼミナールの富田一彦先生と言われている。(下記「構文主義」参照)
*英語教育史における伊藤和夫 [#a071e21c]
 ''某茶飲みwikiの「構文主義」の記事は、この節の剽窃らしいです。''
**構文主義 [#gc886c54]
-駿台英語科の伝統として今に残る「''構文主義''」を考案した。
--伊藤師は、構文主義という英文を読解する際の方法論(立脚点)で知られているが、師本人は構文主義という言葉を使っていたわけではないこともあって、まずはそれがどのような内容を示す言葉なのかを説明する必要がある。
--構文主義とは、英文法の枠組を英文解釈に利用可能な形で取り入れた(英文法を読解用に体系的に再構築した)読解法で、合理的にひとつひとつの文の構造・骨格を把握していこうとする姿勢である。((ここでいう構文とは、「くじら構文」や「so~that構文」などの特定の定型表現(公式)=formulaの意味ではなく、「文構造」=sentence structureの意味。))

-受験英語の文脈においては、「''伊藤以前''」の受験英語教育における和訳法(場当たり的に英熟語や英文公式(formula)の知識を用いて和訳していくやり方(([[入不二>入不二基義]],1997)((入不二基義(1997).「[[二つの頂点―『英文解釈教室』と『ビジュアル英文解釈』―」, 『現代英語教育』34(2)1997年5月号, pp.12-17, 1997-05, 研究社.))によると「''熟語 - 公式派''」))に対比的に使われる。
--伊藤師は、こうした「熟語」・「公式」的な英文解釈法が「読む」ことと「訳す」ことを混同していることを批判している。(藤村,2021b,p.17)
--谷・西村(2006)((谷明信・西村公正(2006).「いわゆる受験英語「構文」・「公式」の系譜:『難問分類英文詳解』と『新々英文解釈研究』(9訂版)の「構文」比較」, 『実技教育研究』20, pp.19-26, 2006-03, 兵庫教育大学実技教育研究指導センター.))は、「伊藤以前」の、山崎貞『新々英文解釈研究』(研究社)に代表される「熟語 - 公式派」を「『構文』主義」と呼んでおり、駿台式「構文主義」と非常に紛らわしい。
--伊藤師は、「熟語」・「公式」派の「山貞」に比べ,英文の構造を法則的に説明しようと試みたという点で,「文法」派の「小野圭」をより高く評価していた(伊藤, 1997, p.40)(藤村,2021a)。

-「熟語」・「公式」や品詞分類に依拠した文法的知識と,実際に英文を読むことの間の懸隔を埋めるための指導法・学習法が必要だと考えた。(藤村,2021a)
--伊藤師と山口俊治師は英文読解の基盤を構築する共同作業の中で、それまで品詞論と熟語的な表現が根幹をなしていた英文解釈法を改め、''文構造の体系的な提示による一貫性のある方法を確立''していった。([[山口>山口俊治]]、1997)((山口俊治(1997).「私の見た伊藤和夫氏の業績」, 『現代英語教育』34(2), pp.10-11, 1997, 研究社.))
--師は英語の文構造の分析と解明をしていく上で、Sweet, Jespersen, Poutsma, Curmeなどの専門書に当たっていた。(山口、1997)((山口俊治(1997)「私の見た伊藤和夫氏の業績」, 『現代英語教育』34(2), pp.10-11, 1997, 研究社.))

-「構文主義」の特徴は、%%%少数の原理によってあらゆる英文を体系的に分類・分析する点%%%と、%%%英文を読む際の思考プロセスを具体的に提示する点%%%の二つにある。(藤村 2019)
--基本的特徴は、「S+V+〔X+X〕」と「H+M」の二つの原理によってあらゆる英文を分析する点と、和訳を介さず英文を「''直読直解''」することを目指す点である。

-構文主義は駿台はもちろん、他予備校の英語講師や高校の教師のあいだでも広く浸透している。英語教師の大半が当たり前のように構文把握を重視するのは、師の影響といってよいだろう(いわゆる「''伊藤以後''」)。
--駿台では、伊藤師の影響が今でも大きいためか、「構文主義」という概念が英語学習における一種のイデオロギーと化している面も見受けられ、講師・生徒ともに多かれ少なかれ構文主義を至上視しがちな傾向がある。

-「''伊藤以後''」の英文解釈法の一つの類型として、「構文主義」から直接的に影響を受けていると思われるが、''「構文主義」よりも受験生が取り組みやすい方法を提示するもの''がある。(藤村, 2021b)((藤村達也(2021b).「『受験英語』における英文解釈法の歴史的展開 --伊藤和夫の『構文主義』を中心に--」, 『京都大学大学院教育学研究科紀要 (2021)』, 67: p.22, 2021-03-25, 京都大学.))
--''薬袋善郎''師は「Frame of Reference」という独自の枠組みにより、英文を個々の単語に「品詞分解」して構造を理解する方法を示している(薬袋 1995)((薬袋善郎,1995,『英語構文のオリエンテーション』駿台文庫.))。
--代々木ゼミナール講師・''富田一彦''先生は、文法による説明をもとに、「文それぞれの意味を正確に理解し,それを積み上げて全体を理解する」(富田 1994a, p.5)((富田一彦,1994a,『富田の[英文読解 100 の原則]上』大和書房.))ことによる英文読解を重視しており、それを「読解の原則」として法則化して提示している。
--これらは、「構文主義」の一側面、すなわち英文の読み方を一般化・法則化し、それを明示的な方法として提示するという性格をさらに強調し、英文読解の過程を具体的な操作に落とし込むことで、より多くの学習者にとって扱いやすい方法を示している。(藤村, 2021b)((藤村達也(2021b).「『受験英語』における英文解釈法の歴史的展開 --伊藤和夫の『構文主義』を中心に--」, 『京都大学大学院教育学研究科紀要 (2021)』, 67: p.23, 2021-03-25, 京都大学.))
--「構文主義」から影響を受け、「構文主義」よりも「受験テクニック」的側面を強めた英文解釈法は、より取り組みやすく、具体的な手続きを示す脱秘儀的な方法を提示することで、より多くの受験生を包摂しようとしたといえる。(藤村 2021b)((藤村達也(2021b).「『受験験英語』における英文解釈法の歴史的展開 --伊藤和夫の『構文主義』を中心に--」, 『京都大学大学院教育学研究科紀要 (2021)』, 67: p23, 2021-03-25, 京都大学.))
--英文の一字一句を過度に「意識化」して、教授法の「幼稚化」を行なう者、あくまで分かり易さを追求する結果、その「分かり易さ」が低俗化・幼稚化してしまう講師。(入不二、1997)

-また、「''伊藤以後''」に現れた英文解釈法の類型として、''一文の解釈を超えて、文章を読むための方法を提示するもの''がある。(藤村 2021b)((藤村達也(2021b).「『受験験英語』における英文解釈法の歴史的展開 --伊藤和夫の『構文主義』を中心に--」, 『京都大学大学院教育学研究科紀要 (2021)』, 67: pp.23-24, 2021-03-25, 京都大学.))入試問題の超長文化を背景に、伊藤師の「構文主義」の意義を認めた上で批判し、文を超えて文章を読み解くための様々な英文解釈法が提示されている。
--「''情報構造''」を用いて文章の構成を説明し、文章のレベルで「直読直解」を目指す英文解釈法の類型である。伊藤が「構文主義」により確立した一文の解釈法を前提とし、それを発展させようという試みであるといえる。
---''太庸吉''師は、『英文精読へのアプローチ』(研究社、2009)で「''表現リレー''」という概念を主軸に据え、「旧情報」と「新情報」の観点から「情報展開」を分析することで、文章の構成を解説している。
---また、''西きょうじ''は「文法、構文は、単語→文をつなぐルールであって,その次の段階として文→文章をつなぐルールがある」という(『英文速読のナビゲーター』(研究社、1997, p.iii)。『情報構造で読む英語長文』において、「情報構造を意識して文章の流れをつかむことを主眼と」したといい(『情報構造で読む英語長文』(代々木ライブラリー、2002, p.3)、「結論を述べたら理由説明がくる」など「情報予測」の重要性を示しており、文章のレベルで「直読直解」を目指した。
---''佐々木和彦''は、「構文・文法は、おもに、1 文を抽出して情報を吟味するためのルールです。そのルールだけを利用しても、スムーズに文を読むことはできません。むしろ、立ち止まって考え込んでしまうことにもなりかねません。しかし、そのルールに、『前後の情報の流れをとらえるためのルール』を加えれば、スムーズに英文を読み、スムーズに英文の意味を理解できるようになるのです」(『佐々木和彦の 英語長文が面白いほどとける本』(中経出版、2003, p.3)と述べ、「情報構造」に焦点を当てた読解法を提示している。「構文主義」のような英文解釈法を前提としたうえで文章の読み方を「情報構造」によって説明しようとしている点で、太や西と共通している。
--同様に文章の構成に焦点を当てる英文解釈法に、パラグラフの構造を重視するものがある。
---駿台関西英語科主任を務めていた''[[表三郎>駿台大阪校wiki:表三郎]]''師は、伊藤師の構文主義における内容や表現の把握不足、構文の過度な重視性、パラグラフリーディングの欠如を批判し、それらを修正した''ポスト構文主義''を打ち立てた。
表三郎師は、従来の英文解釈法には「単熟語・公式重視主義」と「構文主義」の二つが存在し、自らは「構文主義を徹底したうえで、英文の内容理解という最終目的を重視」(表 1991, p. i)するのだといい、その立場を「ポスト構文主義」と称した。
表の英文解釈法は「センテンス」に焦点を当てた「構造分析」に加え、「文と文の関係」に焦点を当てる「パラグラフ」と「パラグラフの相互関係+文章と背景の現実との関係」を扱う「テクスト」の視点を含んでいる。

//---もっともこのポスト構文主義においても構文が重要であることは前提であり、批判的ながらも伊藤師の構文主義の影響を受けていることに違いはない。
-''今井宏''師は『解釈教室』が出版されたことで「構文主義」が塾や予備校の指導に定着したことについて、「初級者が中級者になるには、この方法がベスト」だと評価するが、「この方法には『中級者どまり』という致命的な欠点」があるといい、「読解に時間がかかりすぎ、制限時間内に読みきることができない」、「一文一文の訳はできるが、長文全体の論理構造がつかめない」という問題点を指摘し、「スピード」と「マクロの視点」を重視し、文章全体の論理構成に焦点を当てる「''パラグラフ・リーディング''」という方法論を提示した(今井 1999, pp. 2-5)。
-''横山雅彦''は、「駿台(予備学校)の構文主義に見られるように、文法構文の段階でチマチマしてしまって、ロジックまでいかなかった」(横山 2005, pp.12-13)と「構文主義」を批判し、英文読解にディベートの考え方を応用したという「''ロジカル・リーディング''」を提示している。
---''今井宏''師は『解釈教室』が出版されたことで「構文主義」が塾や予備校の指導に定着したことについて、「初級者が中級者になるには、この方法がベスト」だと評価するが、「この方法には『中級者どまり』という致命的な欠点」があるといい、「読解に時間がかかりすぎ、制限時間内に読みきることができない」、「一文一文の訳はできるが、長文全体の論理構造がつかめない」という問題点を指摘し、「スピード」と「マクロの視点」を重視し、文章全体の論理構成に焦点を当てる「''パラグラフ・リーディング''」という方法論を提示した(今井 1999, pp. 2-5)。
---''横山雅彦''は、「駿台(予備学校)の構文主義に見られるように、文法構文の段階でチマチマしてしまって、ロジックまでいかなかった」(横山 2005, pp.12-13)と「構文主義」を批判し、英文読解にディベートの考え方を応用したという「''ロジカル・リーディング''」を提示している。

-なお、近年では構文主義、ならびに伊藤師の英語教育に関する主張への批判も見られるようになってきている。
--現在の駿台英語科でも、竹岡広信師や竹井幸典師など構文主義に批判的な立場の講師が散見される。
--特に関西では、「対比と言い替え」の情報構造を重視する風潮が元から強いこと、そして多読派の竹岡師の影響力が極めて大きいこともあり、構文を重視する傾向は関東ほど見られないようである。
---あくまで、両師ともに、「構文は最低限考えればそれで良い」というスタンスであり、構文解析自体を批判しているわけではない点には注意。
---多読派筆頭の竹岡師も、自作のプリントにおいて「今は複雑な構文を取って訳す、という時代ではないが、かと言って、構文分析自体が不要なわけではない」とはっきり明記している。
---あくまで構文を過剰に重視することを批判しており、構文を全く不必要なものとしている訳ではない(ただし、両師の言う「構文」は、伊藤師の言う意味での「構文」というよりは一般的な英語学習法における「文法」に近い)。
**読解文法 [#sbc8d974]
-英文法を英文和訳の際に利用しやすいように体系的に再構築し、「受験生がどう頭を働かせれば、英文の構造を読み解けるのか」を誰でも習得できる形でまとめた。
--返り読みを極力、しなくてもすむような体系を作り上げた(「''直読直解''」を目指していた)。
-品詞論を中心に据える従来の学校文法ではなく、文構造を中心とした文法でなければ英文解釈には役立たないと主張した。((『予備校の英語』(研究社出版、1997)))
--品詞分解のような読み方は、ある程度は必要悪として認めていたが、英文の原型が分からなくなるほど文を細切りにすることは、返り読みにつながることもあり、否定的であった。

-「''予測と修正''」という考え方(例えば、文頭に前置詞があったら後続の文はどうなるか予測をたてる、実際によみすすめるうちに予測にあわないことがあったら修正する、といった考え方)を大事にしていた。
--夏期講習の「英語構文特講」のテキストを読むと、駿台英語科が今でもこの考え方を大事にしているのがわかる。
--ただし、伊藤師自身はこの予測という問題に対して、少なくとも文型論においては明確な言及はない。しかし、「読みはじめた時から、文の構造についてある予想を立て、文が形の上で自分の予想通りに進行してゆくか、予想を裏切った展開になるかを確認してゆく作業が大切だ」(藤村(2019)((「伊藤和夫の『受験英語』教育における『教養主義』:『構文主義』との関係から」, 日本英語教育史学会事務局編『日本英語教育史研究』第34号, p.136, 2019-05, 日本英語教育史学会.)))とほとんど定義としていいようなことを師本人が書いている。

-『英文法のナビゲーター〈上〉』(研究社出版、1996)では、文法問題が解けるようになることが英文解釈と英作文の学力に結びつくような参考書を試みている。

//--しかし、文法問題を解いていればそのうちに読解や作文に必要な文法力が形成されるという考え方は、伊藤師自身が否定している。『英文解釈教室 改訂版』(研究社出版、1997)で英文解釈の参考書は現実の英語を反映したものでなければならないと主張しているからである。
-しかし、文法問題を解いていればそのうちに読解や作文に必要な文法力が形成されるという考え方は、『英文解釈教室 改訂版』(研究社出版、1997)で英文解釈の参考書は現実の英語を反映したものでなければならないと主張しており、伊藤師自身が否定している。

-後期においては、言語を実践する言語主体の立場である「''主体的立場''」(時枝誠記)に立った文法を目指した。
--そして、そうした立場に立って『ビジュアル英文解釈Ⅰ・Ⅱ』(駿台文庫、1987, 1988)では、文構造の分析を結果として示すのではなく、''文頭から文末に向けて、どのように文法知識を用いながら英文を理解すべきか''を示した。
**教養主義 [#hb25f9cd]
-伊藤の「構文主義」は入試合格だけを目的とした単なる「受験テクニック」ではなく、その先に「教養主義」的な価値へ接続されうる可能性を持っていた。(藤村,2019)((藤村達也(2019).「伊藤和夫の『受験英語』教育における『教養主義』:『構文主義』との関係から」, 日本英語教育史学会事務局編『日本英語教育史研究』第34号, p.138, 2019-05, 日本英語教育史学会.))
-受験英語の勉強を大学入学後の原書を読むための下地づくりにもなりうると位置づけ、そのための効果的な方針を打ち立てようとした。
--「英語教育における「教養主義」は、英文学などの「高尚な」内容の英文を読み解くことでその内容を理解し思考力を養うことを目指すという点で、原書での読解に価値を置く。これに関していえば、伊藤は受験勉強を終えた後に原書での読書をすることの重要性を強調していた。」(藤村,2019)((藤村達也(2019).「伊藤和夫の『受験英語』教育における『教養主義』:『構文主義』との関係から」, 日本英語教育史学会事務局編『日本英語教育史研究』第34号, p.140, 2019-05, 日本英語教育史学会.))

-ただし、伊藤師自身は教養的なものにひどく禁欲的で、「自分はいかに試験に通るかを教えているので、それは英語とは何の関係もない」(ミヨシ,2007, p.32) とまで言ったという。(藤村,2019)((藤村達也(2019).「伊藤和夫の『受験英語』教育における『教養主義』:『構文主義』との関係から」, 日本英語教育史学会事務局編『日本英語教育史研究』第34号, p.138, 2019-05, 日本英語教育史学会.))
--自身の体験から,予備校で受験生に対して受験勉強を超えて何かを語ることが,受験生の進路に不適切な影馨を与えることを危惧していた。(藤村,2019)((藤村達也(2019).「伊藤和夫の『受験英語』教育における『教養主義』:『構文主義』との関係から」, 日本英語教育史学会事務局編『日本英語教育史研究』第34号, pp., 2019-05, 日本英語教育史学会.))

-生徒に教養めいたことを説くことには禁欲的だったが、師自身は教養人であった。
--本人の文章を引用すると、「日本語と英語という二つの言語から等距離のところに身をおき、二つの鏡を映しあわせることによって、個々の言葉を離れた抽象的な思考領域と、「物自体」の存在の気づかせることが、語学教育の第一の意味であるべきだと筆者は考える」(藤村,2019)((藤村達也(2019).「伊藤和夫の『受験英語』教育における『教養主義』:『構文主義』との関係から」, 日本英語教育史学会事務局編『日本英語教育史研究』第34号, p.142, 2019-05, 日本英語教育史学会.))
--高橋善昭師によれば,伊藤師自身は「人生を語ることはしない」といいながらも,「実際は大学で専攻した哲学を含め,語るべきものを多く持った教養人でもあった」 (高橋,1997, p.7)。

-「教養」の価値を軽視していたのではなく,受験指導の場においてそれを求めることの限界を理解し,「受験英語」の先に,あるいは「受験英語」の深層にそうした目的を埋め込むこで,あくまで入試合格を目指す「受験英語」の指導に徹しながらも,その「受験英語」が「教蓑主義」的な価値へと接続される可能性を残した。(藤村,2019)

*発言集 [#y4e17f55]
-「英文は、英文を読むことによってしか読めるようにならない」
-「ほんとうの意味で大人の英語を読めるようになるには、積み重ねたときに、身長と同じ高さになるぐらいの原書や英語雑誌を読まなければならない。ただし、それは大学生や社会人になってからやるべきで、受験時代には必要ない。受験用テキストの勉強によってそういった英語を読む下地を作るだけでじゅうぶんです」
-「受講生からの質問が多い授業はベター(better)かワース(worse)。受講生からの質問がない授業はベスト(best)かワースト(worst)。」(飯田康夫師談)
-「えっと、このクラスは…」
-「これは基本文の~番で履修済み」
-「andがでたら、そこで腕を組んで考えろ、とボクは言いたいね。」
-「何と何を結ぶandなのか、特にandの前にコンマがあるとき。 andの後にコンマがあるのは諸君の英作文だけ。」
-「ボクも英文のペーパーバックはなかなか読めなかったね。途中まで読んで投げ出し、まだ他のを読んで投げ出し、の繰り返し。そしてやっと一冊読めたと思ったらば、また次の本で挫折。諸君もきっとそういう感じになるだろうね。」
-「ここの箇所は文頻のここに書いておいたから各自読むように。」
-「そこの君、授業中はテープレコーダいじらないように。」
-「英文を意味の通る日本語に訳せなくては理解したとは言えない」
-「変わり身の速さと視野の広さが英文を読むに当たって重要」
-「このthatを接続詞だと思った人は筋がいいんだけれども英語は筋の良し悪しで読めるものではない。thatのあとに主語と動詞が続いて完全な文になることがわかってはじめて『ああ良かった』と安心するんだ」
-「(浪人して)君たちは一年遠回りをした。だが、長い人生の中でそれがなんだと僕は言いたい。他人より学び苦しみ悩んだ分君たちは成長したんだ。自信を持って羽ばたいてもらいたい。大学、社会ではこの一年でやったどの問題よりも難しい課題が君たちを待っている。恋に悩み人間関係に悩み仕事に悩むことだろう。そんな時にはこの苦しんだ一年間を必ずや思い出して欲しい。なんてことはないと思えるはずだから。最後になるが二度とここには戻ってくるな。私は君たちの顔は見飽きた。頑張れ!」(通期最終講義)

-「山崎貞という人がいた。この人が大正元年に出した英文解釈の本が、もちろんその間に手を加えているんだが、以来、半世紀以上にわたってまだ図書館じゃない、本屋にあるんだよ。
 僕は最初アルバイトと思って始めた予備校教師の仕事だったが、どこかで本気でやることになってからは、せっかくやるなら、やっぱり山崎貞を駆逐するくらいのことはやりたい。そうでなければ自分がこの分野に足を踏み入れた意味はないと思ったのは事実だね。」(「英語科 伊藤和夫先生にきく」『駿台予備学校 師たちの回想』平成8年 )

*著作一覧 [#u2c24a5b]

**学習参考書 [#pd950c70]
-1964年 - 『新英文解釈体系』(有隣堂、1964年4月15日)
--初版4,000部で絶版となった幻の名著。
--浪人大学付属参考書博物館の有江晴彦館長によると、表紙なしでもヤフオク50万円スタートの超激レアプレミアム本。((TBS系『マツコの知らない世界』「受験参考書の世界」%%2020年12月22日%%2021年1月19日放送))
-1968年 - 『駿台高等予備校副読本 基本英文700選(駿台受験叢書)』(鈴木長十・伊藤和夫 共編 駿台文庫)
-1972年 - 『試験の英単語完全整理(実日新書125)』(鈴木長十・伊藤和夫 著 実業之日本社、1972年3月20日)
-1972年 - 『駿台高等予備校副読本 英文法頻出問題演習(駿台受験叢書)』(伊藤和夫 編 駿台文庫)
-1975年 - 『駿台高等予備校副読本 英語構文詳解(駿台受験叢書)』(駿台文庫)
-1977年 - 『英文解釈教室』(研究社出版)
-1979年 - 『駿台高等予備校副読本 大学入試3000語(駿台受験叢書)』(鈴木長十・伊藤和夫 共編 駿台文庫、1979年4月)
-1979年 - 『駿台高等予備校副読本 英文法頻出問題演習<増補改訂版>(駿台受験叢書)』(伊藤和夫 編 駿台文庫、1979年9月)
-1979年 - 『英文法教室』(研究社出版)
-1983年 - 『英語長文読解教室』(研究社出版)

-1983年 - 『英文和訳演習 中級篇』(駿台文庫、1983年9月10日)
--''現役では最も古い''出版。
-1984年 - 『英文和訳演習 上級篇』(駿台文庫、1984年4月10日)
-1984年 - 『英文和訳演習 基礎篇』(駿台文庫、1984年7月10日)
-1985年 - 『必修 英単語3000選』(鈴木長十・伊藤和夫 共編 駿台文庫、1985年1月29日)
-1986年 - 『基本英文700選 改訂版(駿台受験叢書)』(鈴木長十・伊藤和夫 共編、駿台文庫)
-1987年 - 『英語要旨大意問題演習』(駿台文庫、1987年1月10日)
-1987年 - 『ビジュアル英文解釈 PartI(駿台レクチャー叢書)』(駿台文庫、1987年12月10日)
-1988年 - 『ビジュアル英文解釈 PartII(駿台レクチャー叢書)』(駿台文庫、1988年12月9日)
-1989年 - 『英文和訳演習 入門篇』(駿台文庫、1989年11月10日)
-1991年 - 『新・英文法頻出問題演習』(駿台文庫)
-1991年 - 『英文法の集中治療室』(一竹書房)
-1992年 - 『「新・英頻」併用英文法問題集』(伊藤和夫 編 駿台文庫、1992年1月10日)
-1992年 - 『英熟語の集中治療室』(一竹書房)
-1993年 - 『英語総合問題演習 入門篇』(駿台文庫)
-1993年 - 『英文法どっちがどっち』(一竹書房)
--2014年に復刊された。
-1993年 - 『英語総合問題演習 基礎篇』(駿台文庫)
-1994年 - 『伊藤和夫の ルールとパターンの英文解釈(大学受験JランドBOOK)』(旺文社、1994年3月28日)
-1994年 - 『テーマ別英文読解教室』(研究社)
-1994年 - 『英語総合問題演習 中級篇』(駿台文庫、1994年10月10日)
-1995年 - 『英語総合問題演習 上級篇』(駿台文庫)
-1996年 - 『英文解釈教室 基礎編(英文解釈教室シリーズ)』(研究社、1996年3月10日)
-1996年 - 『英文解釈教室 入門編—高1レベルからラクラク学べる(英文解釈教室シリーズ)』(研究社出版、1996年10月10日)
-1996年 - 『英文法のナビゲーター(上)(大学入試 研究社ナビゲーター・シリーズ 1)』(研究社出版)
-1996年 - 『英文法のナビゲーター(下)(大学入試 研究社ナビゲーター・シリーズ 2)』(研究社出版)


≪以上が、生前の出版≫
-1997年 - 『英文和訳の十番勝負—入門からゴールまでの学力診断(駿台受験シリーズ)』(駿台文庫)
--寄贈本が親しい友人の手元に届くその日の朝に亡くなった。((1997年5月26日産経新聞朝刊「受験のカリスマ」5))

-1997年 - 『英文解釈教室(改訂版)(英文解釈教室シリーズ)』(研究社)
--絶筆。
--例文解説を原稿100枚にわたって加筆した。((1997年5月26日産経新聞朝刊「受験のカリスマ」5))


≪以上が、生前の著作≫
-1998年 - 『テーマ別 英文読解教室 [新装版]』(研究社出版、1998年6月10日)

-2001年 - 『新・英文法頻出問題演習 [PartI 文法篇] 新装版(駿台受験シリーズ)』(伊藤和夫 編 駿台文庫、2001年1月17日)
-2001年 - 『新・英文法頻出問題演習 [PartII 熟語篇] 新装版(駿台受験シリーズ)』(伊藤和夫 編 駿台文庫、2001年1月17日)
--上記「新・英文法頻出問題演習」を2分冊にしたもの。
-2001年 - 『英語要旨大意問題演習(駿台受験シリーズ)』(駿台文庫)
-2002年 - 『新・基本英文 700選 <CD2枚つき>』(伊藤和夫・鈴木長十 編 駿台文庫、2002年1月18日)
--上記「基本英文700選〈改訂版〉」を駿台文庫で改訂したもの。訳文の変更や例文の差し替えもある。
-2004年 - 『英語長文読解教室 <新装版>』(研究社、2004年2月3日)
-2004年 - 『伊藤和夫の ルールとパターンの英文解釈(大学受験JランドBOOK)』(旺文社/㈱デジタルパブリッシングサービス、2004年6月20日(オンデマンド版))
-2008年 - 『英語構文詳解 <新装版>(駿台受験シリーズ)』(駿台文庫、2008年12月22日)
-2010年 - 『英文法教室 <新装版>』(伊藤和夫 著 研究社、2010年12月24日)
-2014年 - 『英文法どっちがどっち』(復刊ドットコム)
-2017年 - 『英文解釈教室 <新装版>』(研究社、2017年3月17日)
-2018年 - 『[新版] ルールとパターンの英文解釈』(研究社、2018年4月19日)
**一般書 [#me9a86a3]
-1986年 - 『かならずワカる 英語の学習法(駿台ブックス)』(駿台文庫)
-1988年 - 『大学入試 伊藤和夫の英語学習法(駿台レクチャー叢書)』(駿台文庫)
--上記『かならずワカる 英語の学習法』の改訂版。
-1995年 - 『大学入試 伊藤和夫の英語学習法(駿台レクチャーシリーズ)』(駿台文庫)
-1997年 - 『予備校の英語』(研究社出版、1997年11月10日)
--没後に編集されたエッセイ集。入不二師が編集。
--遺作。「あとがき」の日付の12日後に他界なさいました。
*参考文献 [#v92e1219]
-入不二基義(1995).「『英文解釈教室』というミクロコスモス―伊藤和夫著『英文解釈教室』を解釈する」, 『高校英語研究』79(13)1995年3月号, pp.1-10, 1995-02, 研究社.
-入不二基義(1997).「[[二つの頂点―『英文解釈教室』と『ビジュアル英文解釈』―>http://www.asyura2.com/0403/bd35/msg/879.html]]」, 『現代英語教育』34(2)1997年5月号, pp.12-17, 1997-05, 研究社.

-伊藤和夫(1997). 『予備校の英語』 東京:研究社出版.

-高橋善昭(1997).「伊藤和夫氏の業績」, 『現代英語教育』34(2)1997年5月号, pp.6-8, 1997-05, 研究社.
-奥井潔(1997).「〈エッセイ〉 伊藤和夫氏 頌」, 『現代英語教育』34(2)1997年5月号, p.9, 1997-05, 研究社.
-山口俊治(1997).「私の見た伊藤和夫氏の業績」, 『現代英語教育』34(2)1997年5月号, pp.10-11, 1997-05, 研究社.
-秋山仁(1997).「〈エッセイ〉 君と僕とはランタン相照らす仲」, 『現代英語教育』34(2)1997年5月号, pp.16-17, 1997-05, 研究社.
-冨田豊(1997).「予備校教師・伊藤和夫氏」, 『現代英語教育』34(2)1997年5月号, pp.18-19, 1997-05, 研究社.
-木村正和(1997).「『伊藤和夫の学習法』のパースペクティヴ」, 『現代英語教育』34(2)1997年5月号, pp.20-22, 1997-05, 研究社.
-奥井潔(1997).「伊藤和夫君に捧げる頌辞」, 駿台教育研究所編『駿台フォーラム』第15号, pp.73-75, 1997, 駿河台学園駿台予備学校.
-谷明信・西村公正(2006).「いわゆる受験英語「構文」・「公式」の系譜:『難問分類英文詳解』と『新々英文解釈研究』(9訂版)の「構文」比較」, 『実技教育研究』20, pp.19-26, 2006-03, 兵庫教育大学実技教育研究指導センター.
-ミヨシ,マサオ(2007).『抵抗の場ヘーあらゆる境界を越えるためにマサオ ・ミヨシ自らを語る』洛北出版.
-江利川春雄(2011).『受験英語と日本人—入試問題と参考書からみる英語学習史』研究社.

-藤村達也(2019).「伊藤和夫の『受験英語』教育における『教養主義』:『構文主義』との関係から」, 日本英語教育史学会事務局編『日本英語教育史研究』第34号, pp.131-148, 2019-05, 日本英語教育史学会.
http://hdl.handle.net/2433/246544
--自著論文解説「伊藤和夫の『受験英語』教育における『教養主義』:『構文主義』との関係から」|すしむら|note
https://note.com/suciology/n/n34f301131975
-藤村達也(2021a).「伊藤和夫の『受験英語』教育における英文解釈法の特徴とその変遷 --「構文主義」の歩みを辿る--」, 『英語教育の歴史に学び・現在を問い・未来を拓く : 江利川春雄教授退職記念論集』, pp.97-110, 2021-03-01, 溪水社.
http://hdl.handle.net/2433/264032
-藤村達也(2021b).「『受験英語』における英文解釈法の歴史的展開 --伊藤和夫の『構文主義』を中心に--」, 『京都大学大学院教育学研究科紀要 (2021)』, 67: pp.15-28, 2021-03-25, 京都大学.
http://hdl.handle.net/2433/262627
-水野的(2024).『日本人は英語をどう訳してきたか—訳し上げと順送りの史的研究』(法政大学出版局、2024年)