京都校 の変更点

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 詳細は[[駿台大阪校wiki:京都校]]。
*概要 [#ga5ecadd]
-1971年、学校法人駿河台学園・京都駿台予備校開校(各種学校)。
-1972年、校舎完成(?)。
-1978年、上京区堀川通り丸太町に新校舎完成。
-1980年、駿台予備学校京都校と改称。
-校長は新田克己師。
*特徴 [#u5539eaf]
-元々は、''京都駿台予備校''という姉妹校で、単なる地方校舎ではなかった。
--一部の記事に別法人と書かれているが、誤りである。
-東大入試中止(このwikiを読んでいる人なら周知の通り、山本義隆師が%%リーダーとなった%%議長をやらされた東大全共闘の東大闘争の影響である。)を契機に開校したとされる。
--駿台生が代わりに京大を受けたところ入試傾向の違いに対応できず、ことごとく撃沈した為、東大以外の大学対策の必要性を痛感した駿台が、拠点として設置したのが京都駿台予備校であるといわれている。
--現在は大阪校を関西駿台の本拠地とする見方が一般的だが、講師間では京都校を拠点校と見做すことも多いとのこと。
-現在は大阪校を関西駿台の本拠地とする見方が一般的だが[要出典]、講師間では京都校を拠点校と見做すことも多いとのこと。
-''大手予備校の他地域への進出の嚆矢''であったが、「これは京都地区には波紋を投げかけたが,全国的な話題とはならず,またこれに追随する予備校もなかった。」((三上敦史(2014)『河合塾の東京進出 : 「東大入試オープン」と駒場校の創設』北海道教育大学紀要))
-大阪校開校前は、大阪や兵庫からも多くの浪人生が京都駿台予備校(当時)や近畿予備校まで通っていた。
-立地はあまりよくない。
--京都駅から電車で数本いってその最寄り駅から徒歩10分かかる。
--世界遺産にも登録されている二条城の隣に位置するので環境自体は悪くない。
-東京で一番古い3号館と比べてもなお古い印象をあたえる校舎である。
--「この辺の建物の中では二条城(世界遺産)の次に古い」と冗談でいわれるほどの古さ。
--二条城の近くだからなのか、屋根に瓦のようなものがひきつめてある不思議な建物である。地方のさびれたホテルみたいな概観。

-2020年度までは、老舗校舎としての矜持からか、別クラス(S組)となる「EXコース」や最上位クラス(A組)固定となる「DASHコース」「プレミアムコース」などの特化カリキュラムは%%ない%%なかった。
--一部のコースにはコースオプションとして「難問演習強化コース」がある。
-2021度にDASHコースが設置された。

-大阪校をさしおき、担当講師陣が非常に豪華なことで有名。
--下位クラスであっても、石川正明師、杉山義明師、米村明芳師が出講するなど非常に恵まれている。
---関東で言えば、各コースの下位クラスにBIG3の担当があるようなものである。

-生徒の質は大阪校と比べても遜色ない程に高い。もちろん、クラスのレベルにはよる。

-京都校の超ベテラン講師である新田克己師や石川正明師は、大学院生時代(あるいは大学院修了直後)から出講しているので、講師歴の割には若い。
-かつては、東京校(当時)の奥井潔師や山本義隆師、関谷浩師もレギュラー出講していた。
--伊藤和夫師、桑原岩雄師、秋本吉徳師も季節講習で出講していた。
--太庸吉師は、代々木ゼミナールから移籍二年目の1993年度にレギュラー出講しており、東京より先に京都校で大人気となった。
-福崎伍郎師、石川正明師、岩沢潔師のように京都から出向する講師もいた。
-開校1年目だった当時、とある講師が授業中に心臓発作を起こして教壇に倒れ込み死亡するという事件が起きたらしい。

-関東古文科の主任級である上野一孝師は京都駿台予備校一期生である。
--正確には上野師が在籍した年のみ仮校舎だったが、師が在籍した校舎が仮校舎だったという事実は師が駿台講師になったかなり後(今から比較的最近)知ったそうだ。
--思い返してみると食堂の床にボーリング場のレーンの跡が残っていたり変なところはいろいろあったようだが
-新校舎完成前の1976年度(昭和51年度)も、京都大学隣の百万遍にある仮校舎を使用していた。

-関西では駿台最古というブランドもあって、幾多の優秀な生徒に恵まれ、関西での進学実績は高いようである

-関東圏の生徒に関係があるのは高3みやこセミナー京大コースが挙げられる。
-食堂が生き残っている。