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中田義元(なかた よしもと、1926年 - 2011年)日本の学者。元東京理科大学工学部教授。元駿台予備学校数学科講師、同主任。 *経歴 [#mac85745] -1926年生まれ。 -出身。 -東京大学卒業。 -東京大学大学院修了。 -元 東京大学学生文化指導会サンデースクール講師。 -元 千代田予備校講師。 -元 東京理科大学工学部教授。 *授業 [#vffab46b] -授業はエネルギーに溢れていた。 -板書は根岸世雄師や山本茂年師よりも雑だった。 -なぜか口頭で説明することを青や黄色の色チョークで書いていた。 (問題を解いていて詰まったら)「ここでやめる」、「計算がすごい」、 (間違った証明の例で)「インチキ」「大うそ」など。 //みていて楽しい。 -時間ぴったりに毎回授業を終わらせており、簡単な問題はわざと間違えて時間調整するという荒技を持っていた。 *担当授業 [#haddcedf] -数学X# 市谷校舎 午前部理3α(A~D組) 1988年度 -数学B#§2 お茶の水校(3号館) 午前部理1α(A~D組) 1988年度 --§1は秋山仁師。 -ハイレベル医系数学 市谷校舎 医系スーパー 1993年度 -解法の探究(夏期講習) --福岡特設会場 1987年度 -東大理系数学(夏期講習) 根岸・中田 1987年度 *人物 [#p8b45d5d] -数学者?。 -元数学科主任の1人。 -奥井潔師、津野田修吉師、根岸世雄師と同様、''東京大学学生文化指導会''~''千代田予備校''出身。 -当時の数学科主任教授の田制初穂師の退職を契機に、津野田師、根岸師とともに教材編集を任され、現在の数学科の基礎を築いた。 --現在の数学科テキスト&授業の仕組み(講師用の教授資料(マニュアル)など)を構築した。 --これは英語科よりも早い。むしろ、後に、このシステムを伊藤和夫師が取り入れた)。<伊藤和夫、晩年のインタビュー参照> -「''3N+Y''」の一人として駿台の内外で親しまれていた。 -東京大学学生文化指導会メンバーによる『''大学への数学''(黒大数)』(研文社→研文書院)の発足当時からの著者でもある。 --中田師、根岸師、藤田師が書いていた頃の黒大数はレベルが高かった。 --黒大数は、今に続くX教材前期の典拠本(タネ本)ともいわれていた。 -根岸世雄師と共著で『大学への物理』(研文社、1955.2(2版))を出していた。 -東大・理科の青本の解説も素晴らしかった。 -ベクトルの問題を解く時、月刊大数の“秘密兵器”(外積)を使うことを毛嫌いしていた。 -毒舌で知られており、質問に来た学生を罵倒したりしていた。 -アンケートで悪口を書いた生徒を呼び出させようとしたことがあるらしい。 *発言集 [#v411bd81] -「すごい計算」 -「これをやったらバカ」 -「まわりくどい」 -「『秘密兵器(外積)』を使おうとしてるんだろ!!」 -(授業の質問ついでに自分の悩みの相談した生徒に対して)「おまえは(恋の)問題が解決するまで受験勉強はするな!授業も受けに来るな!一生懸命、悩みに悩んでそれが解決したらまた授業を受けに来い!」 *著者 [#te399e36] *著書 [#te399e36] **学習参考書 [#v87ceb43] -『大学への新数学ⅡB問題集』(中田義元 著 研文書院)