最首悟 のバックアップ(No.2)
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- 1 (2022-12-25 (日) 12:31:07)
- 2 (2023-06-18 (日) 17:22:07)
- 3 (2023-08-17 (木) 10:17:25)
最首悟(さいしゅ さとる)は、駿台予備学校論文科講師。社会学者。全共闘活動家。
経歴 
- 1936年、福島県生まれ、千葉県育ち 。
- 1959年、千葉県立国府台高等学校卒業。
- 1959年、東京大学教養学部(前期課程)理科一類入学。
- 1963年、東京大学理学部動物学科卒業。
- 1967年、東京大学大学院博士課程中退
- 1967年、東京大学教養学部助手。
- 1969年、安田講堂事件により逮捕。
- 1994年、東京大学退職。
- 2002年、和光大学人間関係学部教授。
- 2007年、和光大学名誉教授。
授業 
担当授業 
通期 
- 医系英語論文(市谷校舎)
春期講習 
夏期講習 
- 医系英語・論文マルチプレックス(市谷校舎)
冬期講習 
- 医系英語・論文マルチプレックス(市谷校舎)
直前講習 
直前Ⅰ期
直前Ⅱ期
人物 
- 長年にわたり駿台へ出講。
- 東大時代はウナギの内分泌などを研究していた。
- 津田塾大学や恵泉女学園大学、予備校では駿優予備学校(講習の「生物」の授業は絶品だった。)や茨城県の智森学舎予備校などへの出講経験もある。
- 学生運動(全共闘)時代は山本師に比肩する活躍をしていた。
- また水俣病問題などへ積極的に取り組みんだこと、そして愛娘・星子が重度の障害を持って生まれて来たことから、障害者問題へも深く関わって来た。
- 神奈川県下の障害者作業所設置などに携わり、障害者差別の撤廃に尽力してきた。
- 近年は2016年に発生した相模原障害者施設殺傷事件、通称「やまゆり園事件」の植松聖死刑囚と文通による対話を行なっていることで著名である。
- また、学生が組織するオルタナティヴなNPO「シューレ大学」の顧問・アドバイザーを1999年の設立以来勤めている。
- 当初から続いている「生命論(いのちろん)」は生物学、哲学、社会思想、60~70年代の学生運動論、障碍論をはじめ、臨機応変、縦横に議論を展開し続けている。
- 師が駿台における医系論文の主導者として生徒を指導してきた根源はここにあると言えるだろう。
- 神奈川県下の障害者作業所設置などに携わり、障害者差別の撤廃に尽力してきた。
- ツイッターは@ssaishu
著書 
学習参考書 
- 『お医者さんになろう 医学部への小論文』(駿台文庫、2001年)
- 『お医者さんになろう 医学部への英語』(駿台文庫、2002年)
- 『大学入試完全攻略シリーズ 東京大学 理科 後期日程』(駿台文庫、年次版)
- 総合科目Iの「出題分析と合格作戦」「解答・解説」執筆。
一般書 
- 『山本義隆潜行記』(講談社、1969年)
- 『生あるものは皆この海に染まり』(新曜社、1984年)
- 『半生の思想(河合ブックレット)』(河合文化教育研究所、1991年)
- 『明日もまた今日のごとく』(どうぶつ社、1988年)
- 『出月私記』 (新曜社、1989年)
- 『水俣の海底から』(京都・水俣病を告発する会、1991年)
- 『星子が居る』(世織書房、1998年)
- 『理科を変える、学校が変わる』(七つ森書館、2001年、共著)
- 『ケアの社会倫理学』(有斐閣、2005年)
ほか多数
寄稿論文・関連記事など 
- 「『ホントウとは何か』予備校で考える」『ザ・予備校』(第三書館、1986年)pp.200-205.
- 特集「教育変革と新しい予備校像」 『駿台フォーラム』第19号(2001年) ISSN 02895579
- 「<予備>の持続と変容」
- 船岡富有子「医系英語論文マルチプレックスについて」
ほか多数