津野田修吉

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津野田修吉(つのだ のぶよし)は、元駿台高等予備校講師。物理学者。

経歴 Edit

  • 福岡県立修猶館高等学校卒業。
  • 東京大学理学部物理学科卒業。?
  • 千代田予備校講師
  • 駿台高等予備校数学科講師( - 1960?年度)。
  • 1959年4月、日本大学歯学部進学課程物理学教室講師
  • 1961年4月、同専任講師
  • 1962年1月、同助教授。
  • 1969年4月、同教授(第三代)。
  • 日本大学歯学部学務担当(1977 - 1979年度)。
  • 1990年1月4日、在任中に病気にて逝去。

授業 Edit

担当授業 Edit

人物 Edit

  • 物理学者。
  • 元日本大学歯学部進学課程教授(物理学教室)。
  • 奥井潔師、中田義元師、根岸世雄師と同様に、東京大学学生文化指導会~千代田予備校出身。
    • 英語科の加賀谷林之助師に、奥井師に続き、中田師とともに千代田予備校から駿台に引き抜かれた。
  • 当時の数学科主任教授の田制初穂?師の退職を契機に、中田師、根岸師とともに教材編集を任され、現在の数学科の基礎を築いた。
    • 数学科黎明期の中心講師の一人にも関わらず、中田師、根岸師と違い、早期に退職したので知名度が著しく低い。
    • 中田義元師の談話でも「根岸さんと二人で(教材を)全面的に改訂した」としていなかったことになっている。
  • 駿台退職後も著書の『大学への幾何』は日大教授名義で増版されていた。
  • 本人の駿台在職期間は短いが、後に日本大学の同僚の山本茂年師が駿台講師となっている。
    • 山本師の、日本大学歯学部進学課程物理学教室での上司に当たる。
  • 日本大学歯学部進学課程での物理学教育に尽力したことは言うまでもないが,在任期間中,本学部の数多くの委員を歴任した。
    • とくに昭和 52 ~54 年は学務担当として本学部全体の教学の発展に寄与した。
    • 音楽に造詣が深く,とくに古典音楽をこよなく愛し,混声合唱団部顧問としても活躍して,学生の薫陶にあたるとともに,桜歯祭などでは自身でもチェロを弾くなど,学生との交流を大切にする方でもあった。
    • 津野田の在任中には,助手として昭和 36 年 11 月に鈴木智哲が,昭和 46 年には山本茂年が着任し,3 人体制で物理学を担当していた。
      • 鈴木は昭和 41 年に専任講師となり,昭和 46 年には日本大学松戸歯学部に転属して,後年,教授となっている。
      • また,山本は昭和 48年4月に専任講師,昭和 53 年 4 月に助教授に就任したが,昭和 58 年に退職し,駿台予備学校の教師に転職している。

著作 Edit

学習参考書 Edit

  • 『大学への幾何—東大の幾何改題—』(東大学生文化指導会 編 研文社、1953、1955年(4版))
  • 『大学への幾何(大学へのシリーズ)』(津野田修吉 著 研文社、1961年(新版)/研文書院、1969年3月30日、1972年9月30日(12版)、1975年5月30日(11版)、1979年10月10(初版)、1982年4月30日(22版))
    • いわゆる黒大数の一冊だが、初期の版は黒表紙ではない。
    • 現在、ネットオークション等ではプレミア価格で取引されている。