山本茂年
Last-modified: Tue, 31 Dec 2024 07:57:15 JST (109d)
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山本茂年(やまもと しげとし)は、物理学者。元駿台予備学校数学科講師。元同主任教授。
経歴 
授業 
- 3Nに比べて大胆で巧妙な解法で問題を解いていた。
- 板書の美しさ、図の正確さは根岸師と双璧。
- 非常に神経質で、途中まで書いた丁寧な板書を、「おぅっ」と言って2/3くらいドーッと黒板消しで消していた。
- 見やすいという点では根岸世雄師を上回っていた。
- <別法>、<研究>という補足事項もよかった。
- 私語、居眠り、遅刻には(当たり前のことだが)厳しく注意していた。
- しかし、生徒を蹴飛ばしたり、教室から追い出したり、授業自体を放棄するようなことはなかった。
- YouTube上に当時の東大の解説授業がアップされているのでそこで授業の雰囲気を垣間見ることが出来る。
人物 
- 物理学者。
- 3N+Y、四天王、『コメンタール』の著者のお一人。
- あだ名は「モネン」。
- その風貌から「バカボンのパパ」とも呼ばれていた。
- 物理科の山本義隆師と混同されやすかった。風貌が違いすぎるので、問題はなかった。
- いわゆる黒大数派ではないが、津野田修吉師は日本大学教員時代の上司に当たる。
- 日本大学歯学部助手時代初期には、津野田修吉教授らとともに、3人体制で物理学を担当していた。
- お茶の水校では、午前部理1β(旧2号館)、東大文系スーパー、東大理系スーパーだけでなく、難関国公立大理系、私立理系コースの基礎クラスまで担当していた。
- 久山道彦師が留学から帰国した後の模試で数学0点を叩き出した際、山本師に相談したというような旨をおっしゃていた。
- 中田師、根岸師が退職され、1996年版の『数学コメンタール』の共編者の中ではとうとう最年長となった。