斉京宣行
Last-modified: Sat, 12 Mar 2022 15:36:02 JST (1134d)
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経歴 
授業 
- 漢文を古典的中国語として扱う授業を展開していた。
「重要な句法です、覚えてください」というだけの授業とは一線を画していた。 - 漢文を英語になぞらえて説明したりするなど、宮下典男師と似た方向性の授業だが、革新的で従来の漢文の授業とは根本的に異なる視点からの説明も多い宮下師の授業(に比べると、斉京師の方が微温的で、従来の漢文の授業をより良い方向に微調整した程度のものなので、受け入れやすいものだった。
- 横浜校の講習の東大漢文や、現役Sαの漢文を受け持ち、斉京師のいなくなった穴は宮下師が埋めた。
担当授業 
通期 
現役フロンティア 
- 高3スーパーα古典(秋本・斉京講座)
講習 
人物 
- 学生時代は早稲田大学の寄席演芸研究会に所属していた。
- 日本テレビの落研の日本一を決める番組「全日本学生落語名人位決定戦」に有難家参久(ありがたやさんきゅう)として出場し、第6回大会で優勝した。
- 私立高校教員を経て、予備校講師となる。
- 河合塾も兼任していたが、晩年は駿台専任講師として活躍した。
- 2008年12月18日、45歳の若さで亡くなられた。
- 同年秋頃、出勤途中に路上で倒れ意識がある状態で救急搬送された。復帰を目指して加療していたが、入院中に敗血症を患い帰らぬ人となった。
- 2009年3月に「東京ガーデンパレス」にて偲ぶ会が行われた。
- 非常に腰の低い人物として知られていた。生徒が恐縮してしまうほどであった。
- 「生前の斉京先生は、生きる伝説みたいな先生で、教室に入っただけで生徒たちがニコニコする、何度も講義した馴染みの教材でも講義直前まで辞書を引く、一目も二目も置かれる人気実力講師なのに度を超えて謙虚……など」(寺師貴憲師Twitterより)
- 存命中は三宅崇広師と共に、駿台の代表的漢文講師であった。
講習では、お茶の水校の合格への漢文読解法(お茶の水校でこの講座をもってるのは毎年三宅師と斉京師だけだった)や横浜校の東大漢文(東大漢文をもってるのも三宅師と斉京師だけだった)を毎年うけもっていたことからも、三宅師とともに、重用されていたのがうかがえる。 - 師の急死で駿台は漢文科の人手不足に陥った。斎藤勝師や寺師貴憲師の出講はこうした事態の打開のためである。この状況は根本的には解決されておらず、漢文講師がまたいきなり欠けると大変なことになると言われている。(2012年スーパー古典での斎藤師がこの趣旨の発言をしている)
- 全国模試等の出題は師一人で基本的には行っていた。
- 『面白いほどとける本』(中経出版)は、後任の片桐功雄氏(河合塾)も亡くなっており、そのためというわけでもないだろうが、現在は出版されていない。
- 「古文・漢文」は出版されている。